キリスト教思想の統合者
教皇に捧げる「宗教ルネサンス」
哲学思想の分厚い雲を晴らし「聖母子」信仰の復活
「子よ、あなたの罪はゆるされた」 2022/2/10
 
聖書と「アロン家の聖母子」
「取説」13年目の到達点
「取説」の二番目にこれを置いたのは、読者に以下を読み進める価値があるかどうかを判断してもらうためである。「望まない」ものを読ませられるのは苦痛であるし、時間の無駄である。2022/6/19
 
休止のお知らせ
「お父さん、10年も待てない」と言われ、「よし、わかった」&取説のマンネリ化を思った。
2022/06/26からの1年間は著作活動に専念するため、取説の一般作業は「休止」する。
その決意を全うするため、14年続けた「分譲マンションの管理人」を辞め、無職となる。
 
 
「獣から人へ」イエスとマリヤさま
アロン家聖母子の物語
2022/3/28
 
「取説」の目的は、読んでわかること  みなさん読んでますよ
「これほどの信仰」はイスラエルの中にも
(カトリック教会創設者のこと)
(1)「異邦人による聖書の物語」この取説の出発点   (2)「おもうがままに」の権能
(3)「ささくら修道会」の宣教理念 (4)信仰にも目的と証拠 (5)「パウロの手紙」神学
 (6)「哲学」混沌と彷徨 (7)「ダビンチ・コード」興行と収益
 
「処女受胎」の聖書  口語訳 新約聖書
 
(8)狂気という名の罪
(9)信仰の即時報道  (10)神は生ける者の神  (11)イエス・キリスト  (12)口語訳聖書の由緒
(13)マリヤさまの結婚問題  (14)奇跡「処女受胎の」聖母子  (15)「聖霊降臨の順番」その後
 
カトリック教会の創設者「クレオパとルカの物語」
 
聖書の「答」に到達の確信
説明書作成9年目にして、折り返し点に達し、来た道を引き返そうとする。「狂気の解消」がそれであったが、思いがけず「処女受胎の顔認証」が加わった。聖書全体は、「ルカによる福音書」に帰し、ローマ・カトリック教会はその基盤の上に立つ。引き返す先は聖書である。聖書は4世紀にローマ皇帝コンスタンティヌスの統治下において、さまざまに膨れ上がったキリスト教思想文書を統合する形で確定した。旧約聖書の目的は新約聖書からの「参照」に尽きる。たとえば、プロテスタントの場合、受洗時の証(あかし)に聖書の言葉を聖句として引用したりする。2020/11/23
 
ところが、その答えはさらなる答えへとわたしを導き、ユダ族との結婚が「緊急避難」だということ、それによってアロン家の血統は絶えるかに見えたが、「処女受胎」によって回避されたこと、「恵まれた女」とはマリヤさまご自身を形容したものであること、ユダの山里の町の名前とテオピロの本名がわかったことなどへと続くことになった。2021/4/14
 
その緊急避難の次第はこうであった。マリヤさまはエマオにおられ、ヨセフはベツレヘムにいてエルサレムで仕事をしていた。ヘロデの大祭司一族探索から免れるため、急遽二人の婚約が調(ととの)い、二人は遠くナザレに疎開した。しかし、「アロン家の子が産めない。アロン家が途絶える」との思いは12歳のマリヤさまには想像以上の負担となった。神と先祖とに謝罪する、心身が内臓が子宮が揺り動かされる、壮絶な祈りの日々が続いた。彼女を見守るヨセフも断腸の思いで主なる神に祈った。そうしたある夜、「おめでとう、恵まれた女よ」という声が少女に臨んだのである。2021/7/5
 
30年後、まず洗礼者ヨハネが現れた。彼は祭司の息子であるから「罪」を洗う行為は大目に見られた。だがイエスはユダ族であったから、「あなたの罪はゆるされた」とする行為は律法違反と断定され、ついにはローマ総督の十字架に架けられ落命した。イエスこそヘロデに代わる王にと望んだ人々の願いは露と消えた。

しかし、ここに「イエスの死の意味」を求めた人物がいた。カペナウムのクレオパである。彼は日をおかずルカをエルサレムに派遣し関係者からの情報収集を命じた。宿に着いたルカはそこにイエスを見て仰天した。だがそれはイエスの服装をした彼の母だった。女が男装をして男に教えている!それは当時はありえない光景だった。

ここにマルコの証言による園での苦杯、そして獣ではなく「大祭司イエス」自身の血により、「狂気という罪」のあがないの仕組みが成就した。復活により、イエスの「あなたの罪はゆるされた」は、時代によらず、地域によらず、常に今であり、個々人に及ぶことになったのである。クレオパはマリヤさまと奉仕の女性たち、それにペテロたちとの宣教チームを編成してローマへと向かった。異邦人への宣教の主体は、割礼とは無縁の女性たちであった。2021/11/2
 
「個々人の狂気を解消する道をアロン家のイエスが拓き、それを母のマリヤさまは、奉仕の女性、ペテロたちと共に、クレオパの要請を受けてローマ帝国社会に宣教された」。そしてそれは貴族社会の女性や解放奴隷の賛同を受けた。しかし、帝国の統治のありかたから、それを無効にする「智」の介入を招き、エジプトは「ヨハネによる福音書」を生んだ。「杯から肉体に注ぎ込まれる他人の狂気、、肉体に打ち込まれる釘から滲み出す血潮」、どちらも身の毛のよだつ情景である。ヨハネ書は、その実態を「哲学」で無効にし、神父さえも「智」の魅力に誘(いざな)い、キリスト教思想を分断した。だがそれも、ヨハネ書を「哲学」に封じる厳然としたこの取説の前に、「過去」のことになるだろう。
 
ローマ帝国の「西と東」の聖母子
聖母マリヤを「イエスの母」に封印の「東方哲学者」
 
 
 
東方教会のその後
「ロシヤ正教」
エジプトのアレキサンドリヤ教会は東方(とうほう)の版図(はんと)の一部であり、ローマ帝国の皇帝は東方の統治者であったから、東方の教会はローマ教会とは一線を画(かく)した。本来ローマ司教(教皇)を頂点とするピラミッド型組織であるはずのキリスト教会は、分割統治を幸いに東方の「智」はローマ教会の「女と漁師」の風下(かざしも)に立つことを拒(こば)んだのである。ローマ教会からの離脱、それは異端(いたん)である。だが、東方教会は東方皇帝の威光を嵩(かさ)に正教と称した。だが、その東方皇帝もイスラムに倒され、東方教会はアラーの神の下(もと)に逼塞(ひっそく)した。その東ローマ帝国が滅ぶ直前「ロシヤ正教」が誕生した。そして、ロシヤ帝国とロシヤ正教の関係が成立した。2022/5/21
 
「答としての聖母子」
聖堂の「マリヤさま」、その答は「取説」作成の着手から12年経(た)とうとする時に得られた。すなわちマリヤさまは寒村(かんそん)の普通の女などではなく、「罪」にかかわることのできる唯一のアロン家の、その滅びから逃(のが)された「姫」なのであり、「処女受胎」の奇跡こそはイエスを最後のアロン家の男子、すなわち大祭司の資格を得させるためであり、人の罪を獣ではなく大祭司自身が負うためであった。そして、女と男とはそれぞれの使命を果たされたのである。そのマリヤさまを「無学な女」と見下(みくだ)したギリシャ的哲学者教会に「キリスト教」を名乗る資格は無い。2022/5/21
 
 
 
子よ、あなたの罪は
神父の言う「子よ、あなたの罪はゆるされた」の短い言葉の中にキリスト教は集約される。その有効性はアロン家の使命を果たされた聖母子に由来している。「智」はその由来から目をそむける。カトリック教会こそ「マリヤさま」を思い出し自らの使命を自覚しなければ、「聖書に親しむ」などと「おろかな智」に走れば、西暦3000年を待たずに分裂瓦解(がかい)する。そう石ころは叫ぶ。2022/5/21
 
以上が「取説」の本体
以下はキリスト教世界の広がりです。2020/11/23
ささくら修道会
 
(1)取説作成の「依頼者」
気がついたらキリスト教の説明書を作る道に出ていた。その道の入口はテオピロが誰か分かったときに見えた。その道は私を高みに導き続ける。説明書の名前は、「笹倉キリスト教会」とした。Webの説明書がおぼろげながらもその姿を現した時、カトリックとプロテスタント以外に、新約聖書の中にすら、さまざまな立場があることに気づいた。何が出来上がるのか説明できない今現在では、この説明書を認定する既存の教会はないと思う。しかし、この説明書の作成が見えざる権威によって導かれていることは確かなのだから、(ささくら宗)聖母マリヤ福音教会を設立した。通称「オリジナル教会」の権威により、このキリスト教説明書は作成され続ける。
 
 
オリジナル教会 総合メニュー
カトリック教会記事 プロテスタント 「ささくら聖書大学」 など 
 
 
サイトの構成
 
 
(2)キリスト「教」ではなくキリスト「教会」の重み
この説明書を作り始めて、いつの間にか8年を経過したが、まだ道半(みちなか)ばのような気がしている。それでもキリスト教会というのは、この世にひとつで、それは「ローマ教会」という結論は得た。その教会は、今は「バチカン市国」という、狭いながらも、俗界におけるひとつの国家として、また聖界という、俗界の国境を越えた存在として、全世界のカトリック信者を統括している。

「ローマ教会」という呼び方は、その存在の「歴史的唯一性」を強調する場合に使うが、地域宗教ではないことを明示するため、一般には「カトリック教会」と呼称し、使い分けている。ちなみにギリシャ正教会のように、「(依存地域名)正教会」の呼称はカトリックではなく、「(依存地域名)オーソドックス教会」である。

キリスト教は、ユダヤ教、イスラム教、仏教といった大ざっぱなくくりなので、「説明書」で説明することはできない。特定された「教会」なら、それができる。

その思いに至ったのは、ミチオ書によるイタリヤの歴史物語のゆえである。それには、ローマ帝国の解体からイタリヤ統合までを、時代時代の代表的な人物の個人史とその時代背景とが、読みやすく展開されていた。中でも、ラベンナのガラ・プラキディア皇妃、カノッサの女伯マティルデが、初期キリスト教の正統を擁護(ようご)した話には感動があった。高貴な精神と権力とを合わせ持つ女性が擁護したキリスト教会とは、彼女たちにとって、どんな存在だったのであろう。それは、聖母マリヤのおられる教会に他なるまい。

そういうわけで、わたしの上にあった「雲」が晴れてゆき、この説明書の作成にも、聖母マリヤの光が差し込みはじめた。その光は聖母マリヤの影形(かげかたち)もない「クオ・バディス」が、歴史物語でもなんでもなく、小説であり、作り話だとわからせた。

わたしは、一度だけ、キリスト教の「き」の字も知らないときに、大阪・玉造(たまつくり)の聖堂に、入ったことがある。片隅で行われていたミサの最中だったが、黙ってみていて、黙って帰った。実に無礼な、田舎者(いなかもの)だった。それから、ミチオ書を思いついてからなのだが、観光旅行とはいえ、三度バチカン市国に足を踏み入れた。わたしと、カトリック教会とは、その程度の縁なのだけれども、聖母マリヤ、テオピロ、ルカ、パウロの事業を思うことのできる今、わたしは確かにカトリック教徒なのではあるまいか。

わたしの仕事は単純で、『「カトリック教会」、「聖にして母なる教会」、そこに帰ろう』に関連する全ての事業である。何百年もかかる仕事だと思う。
 
 
(3)聖典には「口語訳(こうごやく)聖書」+αを指定
わたしが初めて手にした聖書のタイトルは、「聖書」だった。しかし、その後買ったものには、「口語訳聖書」とか「共同訳聖書」とかの余分な文字がついていた。それも、この説明書作成に着手するまでは、特に意識したことはなかった。共同訳聖書を見て驚いたのは、「イエズス」とか「パウロス」となっていた名前が、次のバージョンでは「イエス」、「パウロ」にもどっていたことだった。新しく翻訳したりしたら、それこそ、またバージョンアップが必須である。聖書は、ただの「読み物」なのか?当然の疑問であろう。

説明書を作り始めた段になって、わたしにとって聖書は、「聖典」となっていた。そこで、わたしは由緒のある聖書、最初のタイトルはただの「聖書」であったものを、聖典とすることに決めたのだった。その聖書のタイトルは、現在では「口語訳聖書」となっている。残念に思うのは、中身が変更されていることだった。それは、「らい病」が「重い皮膚病」にスワップされていた。そこでわたしは、Webに置くものは、わたしの持っていた、タイトルがただの「聖書」の聖書をテキスト化したのである。これを変更しないことが、宗教者にとっては重要なのである。

ささくら修道会の聖書」として規定

わたしが率いるであろう宗派にとって、聖書は「口語訳聖書」である。これ以外のものを持ち込むことは厳禁である。それは、むしろ論争を招きたい者(哲学者)を利し、信者の目を信仰からそらすことになるからである。そこにあるのは、解決ではなく、混沌である。口語訳聖書は、文語体聖書から改定されたものであり、名詞は踏襲されている。由緒正しい、正統な聖書といえるのである。このサイトでは、随所に口語訳聖書を引用している。


バルバロ聖書
わたしは一冊の毛色の違う聖書を持っていた。神父さんが訳したものだった。ある日、ふと文書名の比較表を作ってみる気になった。口語訳聖書の文書名一覧の横に、その本の文書名を入力した。すると、旧約聖書のいくつかの文書が、口語訳聖書にはないものだった。不思議な感動があった。そこで、それらの文書を、新たに標準に加えたのだった。

マカバイの書上
この文書を読めば、ヘロデ大王の直前まで、ユダヤを統治していたのが大祭司一族であったことの源流にさかのぼれる。ヘロデが恐れた救い主の誕生は、その大祭司一族の残党としてであることがわかる。幼児大虐殺は、その意味で、確かに人々の口にのぼった出来事であろう。

ユディトの書
システィーナ礼拝堂の天井画のひとつに、女が男の首を盆にのせているものがある。それがこの書の主人公「ユディト」である。口語訳聖書には載っていないので、普通の日本人には意味がわからない。それも当然である。
 
 
(4)ミチオ書 「使徒行伝」に続くイタリヤ2000年の歴史物語
第一部「藤沢道郎 物語イタリヤの歴史」  第二部「年表」  第三部「イタリヤ旅行記」
 
新約聖書の唯一の歴史書である「使徒行伝」の最終章はパウロである。彼は、ローマへの出発点としてエルサレムを選んだが、そこで騒動に巻き込まれ、パレスチナの軍港、カイザリヤの総督の囚人となってしまった。そこでは彼は寛大に扱われたものの、二年間を浪費した。ユダヤ人による裁判のためにエルサレムに送られそうになった彼は、ローマ市民権を行使して皇帝に上訴した。そして、海路イタリヤに護送された。冬の船旅は、海の荒れる困難なものではあったが、パウロは無事ローマに到着した。そして、監視をつけられ鎖につながれてはいたが、自分の借りた家に住み、訪れるユダヤ人を迎え入れて語り合い、二年間の穏やかな日々を送った、で終わっている。

結局、ローマ教会が誕生した歴史的事実は、パウロの宣教活動とはつながらない。パウロの宣教対象はユダヤ人だったのである。ローマ帝国は宗教には寛大であったが、例外的にキリスト教を「禁教」にした。その勅令を取り消す勅令が発布されるまでに300年近い歳月を要した。そして、皇帝コンスタンティヌスはそれまでのローマの神々を廃しキリスト教を国教にする英断を下した。

その後、ローマ帝国は東西の分割統治を経て、アルプスを越えてイタリヤに侵入する民族やイスラム台頭の影響を受けて、解体へと向かった。そして、長い宗教対立や都市対立を経て、イタリヤ半島に統一国家が誕生した。

藤沢道郎(著)「物語イタリアの歴史」中央新書は、その2000年間を、10人の人物の物語を通して、読みやすい歴史書にしてある。それらの物語の背景には「教皇」の存在が見え隠れし、イタリヤの歴史にはキリスト教会の影響が色濃く残る。そういう意味では、この書は「使徒行伝」の続きとして読めるのである。

わたしは、その新書を口語(こうご)読みしたテキストにし、このサイトに置いた。するとそれは、ダウンロードした「教皇名一覧」に物語の年代を配置する作業につながった。また、物語ゆかりの都市を観光旅行することにもつながった。「見聞を広めよ」と背中を押された思いがした。それらをふまえ、これら三つをまとめて「ミチオ書」とした。(2021/1/31)
 
 
(5)プラットホームとしての文学
相互にコミュニケーションを図りたいときの共通基盤(あるいはプラットホーム)として、わたしはこの本をすすめたい。
モンテクリスト伯 アレクサンドル・デュマ、(訳)山内義雄、岩波文庫

時代背景は、ナポレオンがエルバ島に封じられ、ヨーロッパに平和が戻ったかにみえた時代であり、物語は、皇帝がフランスに返り咲こうとする「陰謀」に、海員だった青年が巻き込まれていく場面から始まる。イタリヤに統一国家の機運が高まる歴史背景とともに物語りは展開する。ローマの記述では、著者がそこに滞在していなければわからないような記述もある。いわゆる「小説」は、空想ものであるのに対し、この本は著者が存命していた時代の「歴史」をふまえている。

わたしがこれまでに読んだ本の数は、ほんの少しで、どの本がいいかというのははばかれるが、わたしを基準とすることを許してもらえば、これを必読書とする価値はあると信じる。とくに訳がいいと思う。わたしはおりにふれて、何度もこの本を読んだことがあるのだった。このほかにも、ご紹介したい文学や映画の作品がある。
 
ささくら聖書大学」 
口語訳聖書全文、ギリシャ神話、ソクラテスの弁明、アエネイス、コーラン
キリスト教圏の学術
文学、映画、聴講テキスト
 
 
 
おとなの聖書解釈にもとづく
「キリスト教会のための取説」
以上
 
 
以下は個人的な、あれこれ
わたしは1947年生まれだから、このサイトを手がけだした2009年当時は62歳かそこらだった。今からすると、まだとても若かった。月日はまたたくまに過ぎ行き、老いが増し、作業効率はどんどん落ちていくけれども、それでも足は止めない。昔、兄弟3人で乗鞍岳にバスでのぼり、頂を目指して数百メートルぐらいを歩いたが、砂利の坂道で、靴がすべって、歩行効率が落ち、不快であった。それでも足は止めなかった。

今まさにそのようであるが、視野はかつてなく広く、「さあ、こちらへ」と促されている気もして、それは心強い。もうやり直しのきかない道を、行き着けるところまで、と歩む。今、パウロの「ローマ人への手紙」を読み直しているが、ふと、自分は誰とも競争しなかった、と思うことがある。

若い人よ、わたしの仕事に未完のものがあれば、それはあなたがたにゆだねたい。「ささくら修道会」
 
(6)登竜門(とうりゅうもん)に続いた「分譲マンションの管理
分譲マンションの共用部は管理組合を結成して管理する。60歳で41年間勤めた会社を定年退職したわたしは、分譲マンションの管理人をセカンドライフの職業とした。なぜ管理人という職を選んだのか、話せば長い。その職業は確かに自分の意思で選んだと思った道だったが、自分の意思だけではない気がしてきた。マンションの管理組合、管理委託会社、管理人が連携した分譲マンション管理の運営から学ぶものは多々ある。

なぜ今、このトップページにこのようなものがあるのかと言うと、ここに、キリスト教の説明書作成に至る「見えざる門」が存在した証(あかし)となるからである。わたしは、その門を入り、導かれるままに従い、視野を広げ、それを書き留めているのである。

まさよし「あなたの職業は何か
60歳の定年後15年間続けた「分譲マンションの管理人」を2022/12/20が期限の契約の更新を求めず辞することにした。18歳で工業高校卒業し、大阪市の総合機械メーカーに職を得て、75歳の今日(こんにち)まで働き続けたが、この時に至って「無職」となる決断をした。そして1年の期限を設けて「マリヤさま」を書こうとする。2022/7/28
 
 
(7)不思議がなるほど「パソコンの取説マンガ
工業高校生のころから、あるいはもっと以前から、技術など見えないものを、見えるようにマンガで表現しようと思った。8ビットマイコンが登場し、職場でそれを応用したシーケンス制御が製品にされた。それまでのリレーシーケンスは、制御の流れを目で追うことができたが、マイコン制御ではインプットに対してのアウトプットしかわからない。制御のプロセスは、ソフトウェアであって、目でそれを追う事は、専門家でなければできない。

取説は、8ビットCPUの不思議から始めて、SQL Server2000を使ったクライアントサーバーに到達した。「えつこ」と結婚して、8ビットの原稿が本として出版された。わたしは「えつこ」を「あげまん」だと思った。あっという間に33年が過ぎた。

「キリスト教の始め方」とか、「マリヤさま」とか、自分流のマンガを描いてみたいとは思うけど、その機会があるかどうか、今の自分にはわからない。
 
 
(8)黎明期(れいめいき)の余禄
○ 別サイト「ニフティのブログ」
○ トップメニューの履歴 (2012年 ) (2018年
「聖母マリヤ福音教会」の展開について(初期の構想)今日、思いがけずこの画面を開いた。シンプルなものだった。「ほう、最初にそのようなことを考えたのか」という思いを持った。2019/1/18
預金口座「(笹倉宗)聖母マリヤ福音教会」お金のことで悦子をハラハラさせないために家計と分離したもので、グループ制のある口座を作れないものか、そう考えて職場の近くの「上山手郵便局」に行って聞いてみた。「規約を作ってもらえれば検討します」とのことだったのでワープロした。そうしたらすぐに認められた。2012年3月のことだからWebも大した記事ではなく常識的なものだった。その資金の一部は、贈呈聖書やイタリヤ旅行にも使われた。
 
 
(9)「まさよしのばあい」自分に読む物語
父は66で、母は76でこの世をみまかった。わたしは今71、今年は72になる予定だが、62の時に、この説明書を作り始めた。今までの説明書と違うのは、その制作期間が無限のように思えることだった。だとすると、それはこの世だけでなく、あの世でも何かしないといけないような気になる。それはともかく、今はあれこれ考えている暇はない。

わたしのeva(エバ)であるえつこは、わたしの仕事には口(くち)をださない。「おとうさんのしたいことをしたらいい。おとうさんのしてほしいことは何でもしてあげたい」、と言うのだった。彼女は、自分があまり食べないものでも、おかあさん(わたしの母)の作っていたもので、おとうさん(わたし)が食べていたものということで、にしんの昆布巻き、らっきょうの酢漬け、スライスしょうがの佃煮、しめさばのにぎりなどを、ときおり、今でも作ってくれる。
 
パスワードの気持ち
Javaスクリプトが原因の警告問題で、パスワードの設定は「全部」取り消しました。
 
「オリジナル・チャーチ」
 
Site owner Masayoshi Sasakura
 
2009年9月より「笹倉キリスト教会」制作開始
2013/2/14、2013/3/10(オリジナル教会)、2013/3/25、
2013/3/28(万民)、2013/7/11(説明文追加)、2013/9/30
2014/6/2(ローマの地下墓所)、2014/7/5(二回目の旅行)
2014/7/9(掲示板の記述削除)、2015/2/8(整頓)、2015/2/11(推敲)
2015/3/31、2015/7/9(1)の説明を推敲、2017/11/22(大阪天神祭削除)
2018/6/2(リンク・タイトル変更)、2018/6/25(パスワードの気持ち)
2018・12・07(推敲:=すいこう)、2018/12/31(軽微な文言変更)、2019/1/3
2019/1/9-10(メニューの構成を見直して集約)
2019/2/15(項目名見直し)、3/30(俗界と聖界を挿入)、2019/8/21、8/30「おもうがままに」
2019/11/25(折り返し点)、11/26、2020/4/2(聖母子画像)、2020/5/24(調整)
2020/6/14(「オリジナル教会」ロゴ・サイズ変更)、6/16(ロゴの位置変更)、7/3(軽微な修正)
2020/10/05(聖母マリヤの肖像画の大きさ)、10/18(異邦人による即時報道)、
2020/12/5「口語訳聖書の由緒」へのリンク、12/6、12/14(興行)
2021/1/29リンク先変更(取説の目的、煉獄)、2021/1/30「ミチオ書」藤沢道郎の著書を表に
2021/5/4(祝10th)、2021/6/15キリスト教会「のための」取説->「に行くための」
2021/11/30、2022/2/10、3/12、3/28「アロン家の聖母子」
2022/5/20、5/23、2022/6/11
 
ブラウザ事情
 
2021/3/11 4319MB(use)  5920MB(not used)
 
 
医療のおかげ
わたしは医療者の技量、医術、医薬品などに助けられ、後期高齢者に達した今日、今なおこの取説の完成を目指している。その一番最初の記憶が、小学一年生の夏休み直前、栗の木から水のない砂利の小川への転落事故だった。しばらくして気が付き、起き上がったものの、右腕が動かず、ぶらんとした状態のまま家路についた。ケガの心配よりも父にしかられることの方が気になった。「どうして栗の木なんかに登ったのだろう」、その軽率さが悔やまれた。わたしを見た父は何も言わず、わたしを自転車の後部座席に乗せ、西脇の飛田医院につれて行った。複雑骨折だった。

そして夏休みの一ヶ月間を入院で過ごした。担任の堀沢先生が「フランダースの犬」という絵本をくれた。退院の日、一万円という大金を払う父の姿に、わたしは言葉がなかった。「お父ちゃん、ごめん」。飛田先生の技量によって、まさよしの腕は完治して、マンガが描ける。レントゲンを撮ると、今でも右腕の肘(ひじ)に針金が写り、お父ちゃんにかけた負担の記憶がよみがえる。でも懐かしい、とても。
 
2022年
         
 
一見、職場と自宅を往復するだけの日々過ぎていくが、それでも少しは社会活動との関わりはある。その関わりの一端(いったん)を記事に残しておこうとする。
 
 
 
 
 
放送番組
「取説」が完成したら、宣教の義務というか使命が自ずと生じるに違いない。カトリック教会の「使命」の初めは、マリヤさまの自覚であるだろう。それはマリヤさまに起こった処女受胎の奇跡が呼び起こした自覚である。アロン家にもう一人、しかも男子が誕生する。その子は大祭司の資格を生まれながらに持つのだ。アロン家による「罪」の解決、「獣」から「人」へ。それこそは「恵まれた女」と形容されたマリヤさまに与えられた使命の自覚なのだ。そしてその実現のチャンスは一度きりなのだ。「苦杯と十字架による罪のあがない」の成就、神父に言う「子よ、あなたの罪はゆるされた」とするカトリック教会のミサは、その事実を子々孫々に伝えているのである。

カトリック教会の取説ともなったこのサイトの記事は、Web環境に置かれているので、誰でも読むことができる。だが、Webには読んでほしいと望む人々に働きかける機能は無い。

プッシュ型の報道、それが宣教ではあるまいか。その宣教主体が組織であってこそ、活動の永続性が担保される。宣教の内容がキリスト教思想であれば、聖母子に関わることであればなおさら、統合者である教皇の裁可が求められるであろう。「ささくら修道会」の設立こそはその望みである。修道会に広告は要らないと思うが、ま、せっかくのアイデアだから、しばらく消さずにおこう。2022/6/13、6/15