子よ、あなたの罪はゆるされた
    「ささくら まさよし」の総括

神父の信徒に言う「子よ、あなたの罪はゆるされた」こそは簡潔明快なキリスト教の奥義である。ユダヤ人としてのイエスが罪に関わるには「アロン家」の者でなくてはならない。マリヤさまの「処女受胎」の奇跡はまさにそれの証(あかし)であったのである。すなわちマリヤさまはアロン家最後の姫さまであり、ユダ族のヨセフとの婚約は「緊急避難」のためであり、ナザレは疎開先だったのである。マリヤさまは実家のあったエマオのエリザベツを訪れた際にご自分の妊娠を喜び歌っておられる。それは滅んだはずのアロン家に男子が与えられるという喜びである。

はたして生まれ出た子は男子であり、他にはアロン家の者はいないから、その子は生まれながらに大祭司が名乗れる身分である。アロン家は代々「罪のあがない」に関与したが、「人の罪を獣に移し、その獣の血によって、罪をあがなう」ものであった。だから、いまひとつ「罪のゆるし」パワーに欠けた。

だが、イエスの場合は、聖母子の覚悟は、「人の罪を人が負う」というものであった。すなわち、人の罪を大祭司たるイエスが負うのである。イエスが洗礼を受けた時に響いた天の声、「わたしの心にかなう者」とはまさにそれであった。身の毛のよだつ「天の声」だったのである。すなわちイエスが人の罪、霊的汚物、狂気、それを自ら負う能力あるいは資質が認められたのである。

そして母子は過越の祭に向けて行動を開始したのである。イエスが罪を負う手段、それは園で認められた。すなわち苦杯である。そしてその情景を確認した者こそマルコである。レビ人であるマルコは主筋にあたるマリヤさまの意向を受けてその夜イエスの一行について行ったのである。そして苦杯から十字架へと展開し、事は成就したのである。

だが、イエスはユダ族の者として世間には認知されていた。だからイエスの十字架刑は挫折を意味した。だがイエスの十字架での態度は、うっとりするような、あまりに平穏であり、それが人々を不安にした。天地が暗くなったこともそれに拍車をかけた。四方にとんだ伝令は、その日の遅くカペナウムにも到着したが、伝令はイエスの態度をふと漏らした。彼の穏やかさの不思議を。

それに聞き耳を立て、僕(しもべ)ルカをエルサレムに派遣したのがクレオパである。三日後にエルサレムのかの宿に着いたルカは、マリヤさまに面会を求めたが、現れたのがイエスだと仰天した。「イエスが生きていた」、それがルカによる「顔認証」となったのであり、「処女受胎」の根拠となったのである。すなわち、「処女受胎」は二人の異邦人によって世に現れたのである。

ここに、マリヤさまがカトリック教会の最初におられたことに、ミサの続いている現状に鑑みて、思い至るのである。そして、それが、神父の信徒に言う、「子よ、あなたの罪はゆるされた」こそが、アロン家の聖母子による「狂気という罪」の解決を簡潔明快に言い表しているのである。2022/5/24
 
1.生涯にひとつ
まだ小学生か中学生だった頃に、わたしは「笹倉家に信仰を」と思ったのだった。実家(じっか)は「法幢寺(ほうどうじ)」という名の禅宗(ぜんしゅう)の檀家(だんか)だった。22歳の時、会社から留学を許された「鉄鋼短大」を卒業してまもなく、縁を得て高野山(こうやさん)にのぼった。といっても南海電鉄とケーブルカーを乗り継いで山上(さんじょう)の町までいける。わたしは「高野山大霊園の造成とその募集」の広告を「喜志(きし)駅」のプラットホームの広告で見たのだった。管理事務所に着くと、「おお、久保田鉄工さん、お待ちしていました」と言われた。わたしは何かの担当の社員と間違えられたのだった。会社は大霊園のシンボルとなるモニュメントの「塔」のアルキャスト(アルミ鋳造製品」)を受注していたのだった。受付票に、勤務先の項目があったのだろう、それでわたしは正直に会社名を書いたのだった、と思う。

「まさよしの鉄鋼短大」自分に読む物語
蓄膿手術の直後、鉄鋼短大留学は、わたしが再生する機会を与えてくれた。

2.22歳の信仰碑
結局6霊地の使用権を購入することにしたが、24万円の支払いが必要だった。「ないな。冬のボーナスなら何とか」と思って、2回の分割払いでお願いできませんかとお伺いをたてた。「上司と相談してみる」とのことだったが、認められてほっとした。社内預金から14万円を引き出し、14枚の札束をもって近くの郵便局に行った。初めて手にする現金の「重さ」だった。そして「笹倉家信仰費」という碑を建てた。当初両親は驚き、猛反対したが、わたしが「墓を慕(した)っているのではない」ことを知ると、何も言わなくなった。

3.お大師(だいし)さま信仰の祖母
それからは、たまに、家族がわたしといっしょに高野山に来るようになった。母方(ははかた)の祖母の「はつえ」は、若い頃からお大師様を信仰していた。その、お大師様のおられる大師廟に、おばあちゃんは、家族の運転する車で来た。お大師様が出迎えてくださるという、大師廟の前の橋を渡るおばあちゃんの後ろすがたに、「おお、わたしはこのために用いられたのか」と思ったのだった。大霊園は、大師廟にほど近く、東側に位置する。

「ささくら まさよし」の高野山
(1)父母と兄弟の高野山 1981年4月26日、前日は大阪市・泉南メモリアル・パーク
(2)悦子と高野山 1981年12月12日 高野山に来たのは悦子のみ
(3)家族と東ドイツ出張直前 1986年11月1日


LPZ(1)高野山

東ドイツ出張直前と、帰国後すぐに、家族と高野山。 1986年11月1日、1987年2月22日
 
4.(えん)を得たのはキリスト教
だが、わたしに仏縁は生まれなかった。かえって、一番ご遠慮していた「キリスト教」に縁を得たのだった。

国分福音教会のみなさんと
1975年 富浦牧師による、屋外洗礼を見た。亀頭部の内側が炎症を起こすので、包茎手術をした。その直後。

そして、どういうものか、パートナーにも「キリスト教」を望んだ。それが障壁となったことは実感したが、なぜか断固それを通した。また、邪魔がはいったり、自分にその気が起こらず、かえって「とんちんかん」な無礼を働いてしまったりした。そして、いつの間にか30歳を越えた。半分あきらめかけた頃になって、ふと見た独身寮の新聞広告から、OMMG(今はない)に入会し、悦子との縁を得たのだった。この頃、わたしは玉手山独身寮を定年退出し、工場に近い賃貸マンションに越していて、国分福音教会には足が遠のいていた。

悦子は自分もクリスチャンになろうと努めてくれたが、わたしが出張がちなので、教会にはひとりで通った。だが、彼女の表情から悦びは感じられず、おもしろくなさそうだった。そこで、わたしは「もう教会には行かなくていい」と言った。教会は、信者になろうと努める者に「恵み」を与えねばならない。おもしろくないのは、がまんしなくてはならないのは、「礼拝するための」教会ではない。わたしはそう思うのだ。

5.キリスト教会のちぐはぐ
後になってわかったことだが、キリスト教会には、さまざまな宗派があり、互いに反発している風があるし、牧師のレベルもさまざまであり、牧師の子供には「わがまま放題」な者もいる。「なんじゃ、それは」と思わざるを得なかった。次第に教会に対する不審が増した。わたしはそれが「プロテスタント」の特徴だとは気づかなかったのだった。不審を覚えるというのは、わたしに責任があるというよりは、教会側に、確固としたものがないからだ。カトリック教会はキリシタンの教会であり、ごめんだったし。ずいぶん後の話になるが、60歳を越え、「物語イタリヤの歴史」を読むに至って、カトリック教会への意識が変わった。

6.東ドイツ出張先からの手紙
話は戻って、わたしは悦子には自ら洗礼を授けようと考えた。それはLPZ(エル・ピー・ゼット)というプロジェクトのあった、DDR(デー・デー・アール)と呼ばれていた東ドイツに出張していた時に、手紙で講義する形で実現した。海外出張は「このためにこそ」と思わされた。わたしは、悦子と出会うずーっと前になるが、女性に何通も何通も、手紙を出したことがあるのだった。それらは開封もされず読まれもされず、放置されていたのだった。わたしは愚かにも「ストーカー」になっていたことに気づかずにいた。その時の涙を、悦子への手紙が清算してくれることを期待した。だから手紙には、必要以上に、裸体とかセックスのイラストをいれた。ただ、聖書の注解も別途書いていた。それが洗礼のための福音書注解だった。用(もち)いたのが「ルカによる福音書」だったことが、あとになって、生前整理をちょっとやりかけた時にわかって、ほっとすることになった。悦子はそれらを読んでくれていた。三ヵ月後、帰国直前に書いた手紙が、わたしの帰宅よりも後に届いたが、彼女はそれも読んだ。

「まさよしのLPZ(海外出張)」自分に読む物語
手紙の目的は二つあった。ひとつはかつて出した読まれもしなかった手紙を無効にするためだった。わたしが女の裸体を知ったのは悦子が最初ということを強調するため、必要以上にファックのイラストを入れた。ふたつめは、何と聖書の講義だった。これを二類とした。

7.家族のための個人洗礼
悦子の洗礼は、子どもたちが小学生になるのを待った。彼らが立会人というか、会衆となるためだった。その時が来て、夏休みに何泊かの海水浴を兼ねた「悦子の洗礼」のためのドライブ旅行をした。次の年にはbに、その次の年はcにと、三年かけて、三人の洗礼を終えた。だが、わたしは彼らに「キリスト教」の「これこそは」を示すことができなかったことに気づいた。大きくなった彼らが、「信仰」というものから離れていったのは無理からぬことだった。親がしないことを子がするわけない。

(9・16)1994年・悦子の洗礼・若狭和田海岸
子供たちの成長を待って、まず、悦子の洗礼を決行した。

(6)まさよしの「家族洗礼」再帰(さいき)の起点
個人洗礼は、何ももたらさなかった。深淵に引き込まれていく、海浜の一粒の砂のように。このずーっとあと、キリスト教の説明書を作り始め、カトリック教会の存在を知った。そして、わたしは、「イエスはアロン家の者でなくてはならぬ」に到達し(2022年2月)、「聖母子」信仰の核心にせまったことを自覚した。
 
8.消化試合の日々始まる
歳月はまたたくまに過ぎ、わたしは42年間勤めた会社を60歳で定年退職した。その翌日から求職活動を開始し、三ヶ月間の活動を経て、分譲マンションの管理人となった。わたしは自宅のマンションの理事長をした経験から、再就職は「管理人」がいいと思って、その職種にしぼって、梅田のハローワークで求人情報を探したのだった。最初の勤務先は、二棟で120戸の規模で、「残業」があった。しかし、一年も経たぬうちに異動となって、宝塚の物件の住込管理人の病欠の穴埋めに一ヶ月間通った。だが、それはつなぎで、それを終えると、今の物件の担当になった。ここでは残業がなくて、アフター・ファイブに暇(ひま)ができた。この「管理人」の仕事は、人生の消化試合であり、自分は静かに消えていく日を待つばかりなのだ。それでも、仕事にはやりがいがあった。毎日が同じではなく、さまざまな課題や環境の変化に対応しなければならない。まだ勝負をしている気にもなった。

「まさよしの定年退職」自分に読む物語
会社には延長を望まず、定年退職した。「会社には数知れぬ恩を受けた」、その思いを胸に退職の道を選んだ。そして、マンション管理人に的を絞って求職活動をした。そして、今の会社に縁を得た。

9.十八番(おはこ)の「取説作成」をインターネットに
そうした中、インターネット環境が社会基盤として充実してくると、わたしはそこに自分の「説明書」を置こうと考えた。わたしはマイコンが出現してパソコンへと進化する時期に、その「説明書」を「マンガ」で作ったことがある。そして、何冊かは出版もされたのだった。それもまた過ぎた「今は昔」のことになったが、今回はマンガではない。そして、その最初が「分譲マンションの管理」についての記事になった。

マンガマニュアル一覧
職場の製品に、マイコンが搭載され、電気図面上で動作が追えなくなった。動作はプログラムされたROMの中にある。それで、CPUのしくみを連続した「イラスト」で書こうとした。これが「マンガマニュアル」の発端となった。

分譲マンションの管理
分譲マンションは、占有部と共有部から成る。占有部の持ち主は「区分所有者」と呼ばれ、購入時に、管理組合員になることを誓約させられる。管理組合が共有部を管理する。役員は、悪用をさけるため、2年程度で交代する。ほとんどは、管理会社に委託している。管理員は、その委託されたマンションの勤務となる。

その最中(さいちゅう)にふと、と言うしかないが、キリスト教の記事に着手した。なぜそれを始めたのかは「謎」である。わたしは次第に「キリスト教の説明書」をWeb上に置くことの自覚を持つようになった。そして、まず4福音書の比較表を作った。次に、一年はかかっただろうか、口語(こうご)訳聖書の全文をテキスト化した。そして、それをWebに載せた。また、「モンテクリスト伯」の全文をテキスト化した。だが、それをWebに載せる作業の途中に、「物語イタリヤの歴史」を読むことになり、中断した。

その頃、ふと「70歳になったら海外旅行をしてみるか」と悦子に言っていたのを前倒しする気になった。悦子に、「バチカンのあるローマに行ってみたい」と提案したらOKだった。そして、2013年、「ローマ・フィレンツェ・ベニス8日間」ツアーへの参加を計画する中で、イタリヤの情報検索をした。その履歴から、アマゾンの関連商品紹介のメールがあって、「物語イタリヤの歴史」があったのだと思う。その本は、10人の短い物語を通して、イタリヤ(ローマ帝国)の分裂から統一までの2000年の歴史を知ることのできるものだった。
 
10.「見聞を広めよ」のイタリヤ旅行

「ミチオ書」のイタリヤ
「見聞を広めよ」の源は、藤沢道郎(著)「物語イタリヤの歴史」にある。それは、最初のイタリヤ旅行に使った「検索」から、Amazonの紹介メールを見て、ふと購入したものだと思う。10人の人物を通してイタリヤ2000年の歴史が読めるのだった。その人物ゆかりの都市こそ、何気ないイタリヤ旅行に目的ができ、数度に及んだのだった。

そう、2013年にわたしたちはイタリヤ旅行をした。70歳になったら、定年退職しているだろうし、海外旅行をしようか、と、軽く考えていたが、急にイタリヤに行ってみたくなった。悦子はヨーロッパを期待していたようだが、「ローマ、ベニス、フィレンツェ」という、わたしの提案に賛成してくれた。

個人旅行は無理なので、旅行社の企画から選択するのだが、結果的に、日本旅行のパンフレットから、「ローマ・フィレンツェ・ベニス8日間」を選んだ。バチカン市国にビザなしで入国した。生涯一度きりと思っていたので、関空発ローマ直行便は「ビジネス・クラス」を利用した。帰国の次の日からまた「管理人」の業務に復帰する必要があったから、機内では寝ころんでいたかった。だが、そのイタリヤ旅行は、「一度きり」ではなく、スタートになったのだった。そんなお金どこにあったのだろうとは思わないことにした。

その後、なんと、皇女ガラ・プラキデアのラベンナ、聖フランチェスコのアッシジを含む旅行企画があり、参加した。次には、皇帝フェデリーコのパレルモ、使徒行伝の最終章のマルタ島のツアーに参加した。この二つの企画は、ぎりぎりの参加人数で成立したものだった。そして、直近(ちょっきん)では、ピサの「コロナ惨禍の壁画」を見たし、一時期、ローマ皇帝の院政の地であったカプリ島を巡ったし、バスの車窓からソレント半島沿道の風変わりな教会の屋根を見て、南イタリヤ王国時代の、反教皇のシンボルだと思ったりした。

「ミチオ書」の10都市のうち、トリノを残して、巡ることができたのは不思議というしかない。女伯マティルデのカノッサもあるが、それは砦跡のようなものなので、企画はないだろうと思う。

新型コロナが世界に蔓延した影響で、旅行企画は壊滅した。トリノは遠のいてしまった。悦子のための「ブルージュ旅行」も遠のいている。
 
11.「のたりのたりかな」と効用
「モンテクリスト伯」が途中まで、「ミチオ書(第一部)」の見直しは一時中断、「Q&A」はすっかり景色の変わった今ではもうやり直しの気力が無い。このように、キリスト教の説明書は、あっちへうろうろ、こっちへうろうろ、といった調子ではかどらないが、それでも「本題」のほうは、「こちらへ」と促(うなが)されることがたびたびあった。その都度、新しい眺望地点に立つのを感じた。そして、ついに、「イエスはアロン家の男子でなくてはならぬ」という、たぶん「キリスト教思想」の最高峰に立ったのだった。それこそは、神父の信徒に言う、「子よ、あなたの罪はゆるされた」の「力(ちから)」根拠のひとつになるだろう。とりもなおさず、カトリック教会の支柱のひとつである。

だが、それこそは、レオナルド・ダ・ビンチ(ダビンチ村のレオナルド)、哲学者、プロテスタントなどの「智」のあざ笑うものであった。この「取説」が世に出て、「み心にかなう人々」の目にとまるまでは。なぜ読者を区別するかと言うと、「智」は自分に都合の悪いことは知ろうとしないし、「反撃できそうにないもの」は読まないからである。拾(ひろ)い読みして、記事を批評するのである。

それはともかく、12年がすぎた。当初に見積もった「完成まで1年」の期間はとっくの昔に過ぎ去り、さらに「完成まであと10年」を見積もった。ごく最近になって、アロン家の「聖母子」とキリスト教誕生の立役者が「クレオパ」と「ルカ」であり、ペテロ、パウロは退(しり)けられた。ペテロは「違った」イエスに従って、ローマに着いた。パウロもまた、「皇帝に直訴(じきそ)した囚人」としてではあるが、ローマに着いた。だが、彼の話は「ローマのユダヤ人」には受け入れられなかった。

パウロの痕跡が残るマルタ島
マルタ島は「使徒行伝」の最終章に出てくる。ルカが同行していたからこそ、パウロの様子が残されたのだ。その後、ローマに着くが、異邦人への宣教はしていない。

それらについて述べるわたしの知見には限界があるが、わたしは自らの能力だけでなく、啓示によって今の眺望に立つことには確信がある。よぼよぼだけれども、それを文書に残そうと、頑張(がんば)っている。

子らよ、「聖母子」信仰こそがキリスト教だ
それこそは、子らに「キリスト教の胆(きも)」といったものを説明できぬまま、この世から消えていき、「個人洗礼」が空(むな)しいままに終わるのかの無念が晴れるものとなった。いつかはわからないが、「ささくら修道会」が姿を現せば、「父よ」と呼んでくれる「み心にかなう」聖職者や信徒たちのあることを思わされる。姿あるものは滅びるが、思想は残る。

もし、わたしに一気に説明書を完成させる才があったら、その成果物は、それまでに得た「従来」の御利益(ごりやく)のはっきりしない「キリスト教観」の域を出なかったであろう。実働の「ルカによる福音書」と、座学の「ヨハネによる福音書」の区別がつかず、どうかにして「記事の違い」のつじつまを合わせようと、無駄な労力を費やしたかも知れなかった。それこそ徒労と無益な生涯に終わっていたことであろう。
 
12.「人と比較しない」という特性
わたしの特性のひとつは、「人との比較」をしないことであった。社会に出るまで蓄膿症の強い影響を受けた。「大学」進学などは、自分の能力、家計への負担を考えれば、およそ望みもしないことであった。工業高校をでて、町工場で働く、それがもっとも現実的なことに思われた。だが、田舎者のわたしは、大阪の大企業に就職する縁に恵まれた。だが、蓄膿症の影響は強く、「このままでは廃人になる。それならば」と、手術を決断したのだった。だが、手術入院期間はほぼ一ヶ月と見積もられた。それは、上司の高井課長による「鉄鋼短大」留学の話とほぼ平行したが、それは手放す気持ちで手術による「再生」を選択したのだった。手術の経過は良好で、会社はなにも言わず、鉄鋼関係の中堅社員を育成が目的の、「鉄鋼短大」に留学させてくれた。そこは全寮制であり、茶道と詩吟はその寮生活の部活の名残である。振り返ってみれば、それもまた、何かの導きによるものとしか、他に説明できぬことであった。「子らよ、み心にかなう人々よ、人と比較せぬことにも、生(い)き抜くことの奥義がかくされている。人と比較するなかれ。狂気をあがなう聖母子信仰の下(もと)で、自(みずから)をまっとうせよ」と。
 
13.キリスト教の「これこそは」
今なら、子らに説明できるそれは、「苦杯と十字架」による「狂気という名の罪」のあがないである。個々人の日常の中でわき上がる、さまざまな心の乱れ、「狂気」、福音書の言う「罪」を端的(たんてき)にあらわすそれを、個々人のそれを、具体的に「消去」できる手段が「聖母子」によって完成し、クレオパはそれをわれら異邦人のために導入したのだ。それが、神父の信徒に言う、「子よ、あなたの罪はゆるされた」なのである。

その効能は、「悪いことをした」の後悔の消去にとどまらず、「狂気の発動」による結果予想をも未然に回避できるのである。後悔もまた狂気である。それは肉体を蝕(むしば)み、何の益ももたらさない。消去せよ。そして再生の第一歩を踏み出せ。

これ以外に、わたしたち、あえて言えば、「み心にかなう人々」が、神に求めるものがあるだろうか。わき上がる感情の暴走が抑えられれば、その日常は平安であるだろう。世のさまざまな「垢(あか)」から開放されて、自分の務めを果たしていけるのである。自分の能力に応じた生活に満足できる者は幸いである。

その原点こそが、「イエスはアロン家の者」に気づくことだったのである。なぜなら、キリスト教誕生の社会環境は、エルサレムに神殿のあったからであり、「ユダヤ教」すなわち「旧約聖書」の律法が息づいていた所に生まれたからである。だから、イエスが「罪」に関わるには、「ユダ族」ではだめだったのである。イエスが十字架の最後を遂げたのは、「ユダ族」の彼が、アロン家の専権事項である「あなたの罪はゆるされた」などと言い、律法違反を繰り返したからである。

だが、それすらも、「聖母子」誕生の視点から見れば、必要不可欠のことに違いなかった。大祭司の資格を持つイエスが、旧来の「人の罪を牛や羊の獣に移し、その獣の血で、人の罪を清めていた」神事を過去のものとするかのように、一変させたのである。

すなわち、「人の罪が満たされた杯」を大祭司の彼が飲むという過酷な手段で、それを彼の身に負い、時をおかず、その清算のため「彼の血」が流されたと信じるとき、「罪のあがない」が実現する。その実感のある効能、それも、時代を超えて個々人に及ぶという「喜び」が実現したのである。しかし、その詳細は別のページ、別のテーマに譲ろう。
 
14.すべての民に与えられる大きな喜び
「ルカによる福音書」は、結果に基づいて編纂されたものであるが、御子(みこ)の誕生が、「ユダヤ」の民の域を超える未来の到来を宣言する。
 
「ルカによる福音書」2章
2-10御使は言った。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。2-11きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生まれになった。

2-14「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。


すべての民が共通して持つもの、それは「狂気」である。その「狂気」を一時「消去」できることは「大きな喜び」ではないだろうか。そして、それは「み心にかなう人々」に対してなのである。そして「狂気」は喜怒哀楽の源泉でもあり、人が人らしくあるために不可欠の要素でもある。これを今に残し、なお継続するのはカトリック教会しかない。「ささくら」の取説はその活動の継続を願う。
 
 
15.プロテスタント系の「はてな?」

プロテスタントとは「抗議する者」の意味だそうだが、反教皇、すなわち「聖母子」思想を否定する者たちの総称である。それはマリヤさまを「イエスの母」に封じた東方(ギリシャ)系も含まれる。だが一般には、マルチン・ルター以降の、「聖書は神の賜物」とする者たちのことされ、何かさも「カトリック教会」よりも「偉い」との自負がある。だが、彼らの「偉さ」は、以下のごとく「はてな?」である。自分の頭で考えたものにすぎず、事実に基づかない「作り話」なので、信仰的には何の効能もない。離脱のDNAと「智」とは等価であるがゆえに、教会は大きくならず、プロテスタントは分裂を続ける。物体が合体と合体を続ける「宇宙のことわり」に反し、聖書の引力の周りを漂い続ける、「土星の輪」のごとき、「かけら」の集合体である。

1)罪はイエス・キリストが「解決済み」の「はてな?」
特にルネサンス以降の反教皇の「インテリ」たちの説く、間違いは、「人の罪」の「あがない」がイエス・キリストの十字架で、済んでしまっているので、あとはそれを信じるだけで救われるとしていることである。とても、あいまいな言い方で、初めて聞いたら「なるほど」と思うかも知れないが、よく考えてみると「何のこっちゃ」に落ち着き、聞いた人を教会につなぎとめる「力」はない。

2)イエス・キリストは「神の子である」の「はてな?」
これこそ、何の根拠も無いでたらめである。人の胎から生まれ出た者はだれでも、「罪」と「寿命」があるのである。ただ、イエスは「アロン家の者」ということに、彼の唯一性があるのである。

「ルカによる福音書」18章
18-18また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。18-19イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神ひとりのほかによい者はいない。18-20いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫するな、殺すな、盗むな、偽証を立てるな、父と母とを敬え』」。

このように書かれている。プロテスタントにはこのイエスの言葉の意味がわからない。それほどに彼らは盲目である。なぜなら、彼らはこの記事は読み飛ばすからである。

3)創造主を気安く(1)の「はてな?」
「創造主を気安く」は「智」の詭弁(きべん)で、この場合、「創造主」はサタンの別名である。彼らは自分の吐き出す「言葉」に責任は持たない。言葉はただの垂れ流しである。人は救われず、自分の境遇を呪い、「神なぞいない」と叫ぶ。サタンはその叫びに酔うのである。おろかな「智」はサタンの僕(しもべ)である。

人は「罪」すなわち「狂気」あるものとして創られた。それこそは、「不幸」の原因ではあるが、その「感情の制御不能」状態は他方、人が人であることの証明でもある。また、喜怒哀楽の源でもある。「嫉妬」などの負の感情が何も無い人は、かえって不気味ではないだろうか。感情の揺(ゆ)らぎもまた、人生を彩(いろど)る。

4)イエスはいつも「あなたと共にいる」の「はてな?」
アロン家の者たる大祭司イエスを、「友だち」に落としており、「あがない」を無効にしている、これもまたウソである。

5)神を「あなた」のパフォーマンス「はてな?」
プロテスタントは聖書があれば神父を通さなくても直接神と対話できるとして、信徒のカトリック教会からの離脱の正当性を主張した。

しかしそれは的外(まとはず)れである。聖母子による「苦杯と十字架」による「罪=狂気」の「あがない」とその宣教、キリスト教を異邦人のものとしたクレオパとルカの「信仰と活動」なくしては、キリスト教は語れない。神を「あなた」と軽々しく口にする者は、愚(おろ)かの極みである。

その最初は、「ヨハネによる福音書」を著した「アレキサンドリヤのギリシャ系哲学者たち」だが、その呼び方は、冗長なので、これからは「ピリポ・ヨハネ」と呼ぶことにしよう。「ヨハネ」単独では、漁師でボアネルゲ(雷の子)とあだ名されたヨハネに失礼である。したがって、「ヨハネによる福音書」も、これからは「ピリポ・ヨハネによる福音書」が正しいであろう。だが、実質はそうではあるが、混乱するだろうから、「ピリポ・」を冠することはやめておく。

その文書の影響を受けた者が、ヒッポのアウグスティヌスであろう。神と直接対話する自伝を書いた彼は、ローマの聖母子を知らない。せいぜいエジプトのイシス母子を連想させる「イエスの母」であり、歯牙(しが)にもかけない。アウグスティヌスはクリスチャンではなく、哲学者の崩れたものである。

6)創造主を気安く(2)の「はてな?」
「あなたをつくられた、あなたをこの世に送り出された、創造があなたのためを思ってくださらないはずはない」、と言うが、子は父母の営みによって生まれたのである。子に与えられた「環境」は千差万別である。「ほほえましい」ものから「目をおおいたくなる」ものまで、その生活環境には違いがある。それは創造主の領域ではない。

彼らは何とか聴講者の気をひこうと、自らの智を語るが、それらは「大言壮語(たいげんそうご)」という名の痴である。

7)「自分が一番」の哲学者魂の「はてな?」
彼らは、「子よ、あなたの罪はゆるされた」を蔑(さげす)み、その意味や価値を考えようともしない。それは、自らの「智」だけでは導き出せないものであり、その原因に遡(さかのぼ)らねばならず、面倒(めんどう)である。面倒は労働と等価である。哲学者は労働など下等なことはしない。プロテスタントは宣教などしていない。彼らがしているのは、人々をキリスト教から追い払うことである。それにも気づいていない。

8「イエスを信じれば永遠の命が得られる」の「はてな?」
 
 
16.()は沈む
わたしが、ピリポ・ヨハネご一同に、悪態(あくたい)をついていられるのは、今のうちである。わたしも今年は75歳になろうとする。時々腰の曲がる「おじいちゃん」である。陽(ひ)の沈むのは近い。だが、あせらず急がず、与えられた「任務」を遂行していきたい。力尽きるまで働きたいという気概のみがある。
 
17.陽は昇る
1)「見聞を広めよ」の余波
自分の息のあるうちに、と思うのは、「修道会」の新設を教皇に願い出ることについて、である。だが、それは今の「権威」からその任を解かれたあとでなければならない。それが何とも、もどかしい。バチカン市には、イタリヤ旅行の一環ではあるが、数度足を踏み入れた。聖ペテロ寺院の左側に衛兵の立っている「入口」がある。それがたぶん聖職者のおられる地域に通じているのだと思った。

2)独占的著作権
「おまえの言うことなんか、かつて聞いたことがない」は、わたしに独占的著作権があることと等価であろう。わたしの「キリスト教誕生」解釈の端緒、テオピロとルカは「カペナウムの百卒長」主従からはじまって、ルカによる母子の顔認証に基づく「処女受胎」、処女受胎のひとつは「イエスはアロン家の者」に定めることであり、もうひとつは復活のイエスたる「もう一人のイエス」の存在である。すなわち、アロン家の二人(ふたり)は「男と女」それぞれの役を果たされたのである。そしてそれを世に導き出した原動力こそ、イエスの処刑の報に接したクレオパの実行力であり、その行動の目的は「イエスの死の意味」を知ることだった。その第一歩が、十字架の「絶望」を「希望」へと転換させたことだった。マリヤさまはそれをまず、途方にくれている弟子たちに、そしてユダヤ人たちにと思われたが、その壁はあまりに大きかった。そこにクレオパから「どうぞ、ローマにいらして」と、異邦人への宣教を依頼され、お受けになったのである。

3)新修道会の役割
だが、たしかに、「そのようなたわごと、誰が信じるか」となるであろう。カトリック教会を、ある意味面倒(めんどう)に巻き込むことになる。だからこそ、それはキリスト教思想のひとつであらねばならず、新しい修道会の設立を教皇に願い出る動機のひとつであらねばならぬ。批判は「新修道会」に集中すればよい。

だが、その修道会の最大の武器は、個々人に及ぶ「狂気」解消という「ご利益(りやく)」である。それが「子よ、あなたの罪はゆるされた」の理論武装になることである。ギリシャ哲学では足元にも及ばぬ、信仰と労力との集合体として与えられた、「ルカによる福音書」がその根本である。

「ピラミッド型」組織には永続性がある。カトリック教会の3000年へと続く支柱のひとつのならんことを願う、わたしの新修道会設立への思いである。個人、形あるものは、滅する。だが、ピラミッド型組織は続く。個人の陽は沈み、組織としての陽がのぼる。
 
18.キリスト教誕生の立役者
2021年、74歳のわたしは「イエスがアロン家最後の者」に到達したのだった。そしてそれは、信仰の異邦人二人、クレオパとルカの行動がなければ世にでなかったことでもあるのだ。おお、クレオパ(テオピロの実名)とルカ、あなたがたこそはカトリック教会の礎石であると讃えさせていただきましょう。そして同時にその気づきは、ローマに宣教(なごやかな勉強会のようなもの)されたのはマリヤさまであり、奉仕の女性たちであり、マリヤさまにイエスを重ねて慕うペテロたちであり、クレオパは財力と組織でそれを支えたのである。そしてそれはクレオパの要請にマリヤさまが応(こた)えられたことなのである。

クレオパは軍人であり、ローマ軍の将校である。だが、軍事物資を調達する兵站(へいたん)の責任者だったのであろう。だから、ルカは彼の資産を増やし、ユダヤ人の会堂を建ててやる資金的余裕があったのである。それがカペナウムの町のことであったとすれば、マリヤさまも彼の評判は聞いておられたはずである。

マリヤさまは、イエスのお話をするために、ローマに向かわれた。そのパーティは、ペテロを頂点とするピラミッド型になるようにクレオパは指導した。カトリック教会が教皇を頂点とするピラミッド型であるのは、その発案者がローマ軍将校であったことによる。それは最初からであり、途中からそうなったわけではない。
 
19.「聖母子」信仰とは
「性」においてのみ違いのある「母と子」が、それぞれの役目を果たし、ひとつの「み心にかなう」事業を成し遂げた。それの成果物である「狂気のあがない」を享受(きょうじゅ)し、その負担に思いをいたし、教会に足を運んで、礼拝すること。それが「聖母子」信仰である。

1)選ばれし者
アロン家の姫のユダ族との婚約中に「処女受胎」で生まれたイエスは、アロン家最後の男子であり、「罪のゆるしに関わる専権事項」を持つ大祭司である。

彼は「苦杯」により、人の「罪」という霊的汚物をその身に負った。肉体のあるときにただ一度だけ起こった「身の毛もよだつ」それは、宿の息子マルコの証言によるであろう。

「マルコによる福音書」14章
14-50弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。14-51ときに、ある若者が身に亜麻布をまとって、イエスのあとについて行ったが、人々が彼をつかまえようとしたので、14-52その亜麻布を捨てて、裸で逃げて行った。
この若者は、マリヤさま一行が泊っている宿屋の女主人の息子である。この宿の主人は、レビ人であるので、妻が経営している体裁になっている。レビ人からみれば、アロン家の姫であるマリヤさまは主筋(しゅすじ)にあたるのである。「使徒行伝」で活躍するバルナバも、この時、宿にいたとするのが妥当である。

そして、それはイエスが霊的存在になってからは、個々人が「自分の罪」をその杯(さかずき)に、注ぎ入れることができるようになったである。そして、その狂気の別名である「罪」が、まとわりついて離れぬそれが、彼の十字架で流した「血」によって清算、すなわち「あがなわれる」のである。

ここに、神父の言う、「子よ、あなたの罪はゆるされた」の根拠があるのである。

2)処女受胎のもたらしたものは(ふた)
ひとつは、「アロン家の男子」。役目は人の罪を自らの苦杯により身に負い、十字架という衆人環視で流す血への道を歩むことである。アロン家の宿命を認識していなければ、それは見えない「道」である。

もうひとつは、二人目のイエスの存在である。イエスの処刑から三日目に弟子たちに現れたイエスである。その時、その「宿」に、異邦人の来訪があり、彼はイエスが生きていたと驚愕した。それこそが、処女受胎の証拠でなければならぬ。

その二人目のイエス、復活のイエスこそはマリヤさまである。ペテロたちはマリヤさまというよりは「イエス」に従ったのである。宣教というよりは、和やかな「イエスのお話」の会は、クレオパの友人や貴族の館で催され、貴婦人や解放奴隷たちに感動を与えたのである。評判は評判を呼び、あまねくローマ社会に浸透したのである。アラム語のペテロが街頭演説をしても、その言葉がわからないし、その風采では誰も足をとめない。

3)絶望の十字架が希望に
イエスの十字架は、イエスがユダヤ人の王にという庶民の望みを断ってしまった。だが、何という偶然、あるいは神意であろう、カペナウムにクレオパとルカがいた。将校だったクレオパはイエス処刑の報を受けてただちに行動した。すなわち、ユダヤ人長老とルカとをエルサレムの宿に派遣したのである。彼らは三日目の朝カペナウムを馬車で発ち、夕刻にその宿に着いたのである。そのルカとマリヤさまの出会いの瞬間が、まさにイエスの十字架が希望へとかわる転機になったのである。
 
20.「処女受胎」の背景
1)大祭司にまつわる「アロン家」の命運
その処女受胎は、ただ漫然と起こった神の奇跡ではなく、マリヤさまの「命」と「使命」とが交錯(こうさく)する緊迫した日々の中でのできごとである。マリヤさまの「使命」の自覚とは、アロン家の子を産むことである。「命」の危機は外的なものである。

処女受胎は、アロン家のマリヤさまとユダ族の青年との婚姻に起因する。すなわち、それはマリヤさまとヨセフとの夫婦の契りが交わされてからでは意味を成さない、アロン家の男子を世に送り出すことである。その本来「あり得ない」はずの婚姻の原因は、少女の命を守るための「緊急避難」である。福音書に「ナザレ」という田舎の名前が出るのは、そこにアロン家の嗣業地があったからであり、疎開地だったのである。ナザレは、マリヤさまのエマオの町から100Km以上北のガリラヤ地方の寒村である。

2)30年前にも大祭司のハスモン家の災難
その原因は、老境のヘロデの「大祭司」への疑心暗鬼である。30年ほど前、ヘロデはローマ軍の意向を受けてハスモン家に近づき、その一族の娘と結婚までして、安堵させ、内情を探り終わると、ローマ軍の手の者に一族を暗殺させた。幼子に至るまで皆殺しにした。

その功績を認めて、ローマ軍はヘロデをユダヤ人の王にした。彼の功績とは実に、ユダヤ人の抗争精神の支柱だった、王に等しい「大祭司」を地上から葬り去ったことにあった。ハスモン家は、それから100年ほど前に遡(さかのぼ)ると、マタティヤ一族である。

マタティヤとその息子は、祭司の家柄、おそらくはレビ人の家系であり、本来「兵役免除」なのであるが、パレスチナに興ったギリシャ系王朝による「ユダヤのギリシャ化」に反抗し、武力で抗争を続け、ついにあきらめさせ、最高司令官であることを相手に認めさせ、自らは「大祭司」の身分を名乗ったのである。

大祭司の身分は律法に規定されたアロン家の専権事項であるが、その律法が事実上無視されていたことを物語る。

3)ハスモン家は「マカバイの書上」のマタティヤが元祖
その抗争の次第は、「マカバイの書上」に詳しいが、概略以下のようであった。アレキサンダーの東征に敗れたペルシャの滅亡後、アレキサンダーはさらにその版図を拡大したが、若死にしてしまった。妻子は暗殺された。そこで、将軍たちは、自らの力に応じてその版図を割譲した。そのうちの一人アンテオコがパレスチナを領土とし、「アンテオケ」を建て、そこにパレスチナ王朝を興した。彼はユダヤの風習を忌(い)み、兵を送ってギリシャ化を推進しようとした。それに反抗して、武力闘争に及んだのが、レビ人であり、本来「抗争」とは無縁のマタティヤ親子だったのである。マタティヤが死ぬと、子達がその意志を継いで、執拗(しつよう)に抗争を続けた。

そして、ついに「ユダヤのギリシャ併合」をあきらめさせ、独立を勝ち取り、その息子の一人が敵によって「王」と認定されたのである。だが、彼は神職の家系である「レビ人」であるがゆえに、「王」は名乗れず、主家すじのアロン家の専権事項たる「大祭司」を僭称(せんしょう)したのである。身分をわきまえぬ所業ではあるが、最高権力者に物言う者もいなかった。

その「長きにわたる抗争」の結果として得た「独立」の果実こそは、ローマ軍に対する抗争の精神的支柱となっていたのである。そして、それがユダヤの王朝に等しい「ハスモン家」だったのである。

4)ヘロデがユダヤ人の王とされた功績
ローマ軍は、各地におけるユダヤ人の抵抗が並みのものではないと悟り、その士気の源をさぐり、ついにそれが「ハスモン家」であることを知った。いかにして「ハスモン家」を根絶やしにするか、それが軍儀の主題となった。そしてヘロデに注目が集まった。彼はローマに留学し、アグリッパ将軍にも可愛がられ、石造りの建築の知識も得ていた。彼らは「ヘロデ」に、ハスモン家対策の白羽の矢を立てたのである。そして、ヘロデはそれをやってのけたのである。

ヘロデは、自らの手に染まった「ハスモンの血」を清算するため、40年もかかる「石造りの神殿」建設事業を成し遂げ、ユダヤ人の関心を買おうとした。

5)アロン家も大祭司の妄想
そのヘロデが年老い耄碌(もうろく)して、妄想を見るようになった。すなわち「大祭司」の復活である。どこで得たのか、ヘロデは「アロン家」もまた大祭司と呼ばれていることを知った。アロン家は、神職であり、政治には関わらないので、ヘロデはそれを知らなかったのである。アロン家は、律法に記(しる)された家柄である。だが、改宗のユダヤ人である、ヘロデにはそこらへんのことはわからない。だから、「ハスモン家」の皆殺しの目的、「大祭司」の抹殺は未達成だったと思い込んだ彼は、「アロン家」の抹殺に取り掛からせたのである。

6)アロン家の命運とマリヤさま
だが、この情報は漏れた。そこで、殺させるにはあまりにも惜しいと思った父により、「恵まれた女」であるマリヤさまに対して、「緊急避難」が成されたのである。それは、マリヤさまのレビ人以外の部族との婚姻であった。マリヤさまがユダ族との子を産めば、もはやアロン家とは関係なくなる。そうすれば、ヘロデの手の者も、少女殺害という、無益な殺生(せっしょう)はしなくてすむ。

マリヤさまのアロン家は、エリザベツの夫ザカリヤと同じユダの山里の町、すなわちエマオにあったすることには合理性があるであろう。エマオは「ルカによる福音書」の最終章において登場する「村」の名前である。それは、イエスの十字架事件のあと、エルサレムからエマオに向かう二人の弟子に関連付けられる。何の脈絡も無く置かれたそのエピソードこそは、テオピロと「ユダの山里」の名前を表に出すものだったのである。町が村になっているのは、30年の間に、アロン家は滅び、多分その屋敷もヘロデに焼かれたのであろう、またザカリヤの家も跡継ぎがいなくなって、その祭司の町は寂(さび)れてしまったのである。

クレオパも一時的にエルサレムを訪れ、ルカと合流し、エマオまで赴いたとするのが、正しいように思う。

「ルカによる福音書」24章 二人の弟子のひとりはルカ、もうひとりがクレオパ。
24-17イエスは彼らに言われた、「歩きながら互いに語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。24-18そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。

7)マリヤさまの父が娘を託した青年
一方、その「緊急避難」の目的のため、婿に選ばれたのが、ユダ族の青年ヨセフである。彼は、エルサレムを挟(はさ)んでほぼ等距離の20Kmに満たないベツレヘムに住んでいた。彼はエルサレムで「大工」として働き、神殿にも出入りしていた。それで、マリヤさまの父も彼の人柄を知っていたのである。だから、マリヤさまの父は彼に「ヘロデの秘密」を打ち明け、協力を頼んだのである。一刻を争う緊迫の事態の中であり、父はヨセフにマリヤさまとの婚約を承諾させ、嗣業地のナザレに急遽疎開(そかい)させたのである。

驚くマリヤさまを父は説得した、「マリヤよ、おまえは生き延びよ、主の恵みがお前の上にあるように」。そしてヨセフは、実家に戻らないまま、マリヤさまを連れて、ユダの山里の町から離れ、ヘロデの追手の目の届かないところに逃げ去ったのである。

8)マリヤさまの苦悩、「アロン家の子が産めなくなった」
こうしてマリヤさまの命は助かった。しかし、自分の産む子はアロン家とは関係なくなる。それは、12歳の少女にとって、耐えられぬほどの心の負担であり、壮絶な祈りの日々となったことであろう。そうした中、「おめでとう、恵まれた女よ」の声が臨むのである。
 
21.「イエスの十字架事件」の背景
まりやさまはヨセフの実家(の馬屋)で、男子を出産した。国勢調査のため、皆がそれぞれの実家に戻った。ヨセフの実家にも大勢寝泊りすることになり、ヨセフは「うまや」と呼ばれた離れを改造して、母子と共に過ごした。季節は、「羊飼いたちの野宿」から推して、夏である。

だが、世間的には、イエスはユダ族の者である。「処女受胎」は秘密である。その証拠を最初に見た者こそヨセフであるだろう。「やあ、マリヤじゃないか」、まだ、顔の形の整わない赤子の顔を覗き込んだヨセフの第一声である。

だから、洗礼者と呼ばれたヨハネがレビ人であるのに対して、アロン家でもレビ人でもないイエスに、「罪」に関わる資格は「律法」上(じょう)ありえず、「あなたの罪はゆるされた」とイエスの言葉は「律法違反」であり、その罪は死罪に値(あたい)するのである。その信じがたい風習が当時の「ユダヤ人社会」だったのである。そして、彼は終始、その筋の者につきまとわれることをいとわず、「苦杯」のおぞましさに耐えた直後、ローマ総督の裁可により、十字架刑の露と消えたのである。

イエスにとって「苦杯」こそは、福音書に書かれた、唯一のイエスの忌避を願うほどの、苦痛と苦悩である。十字架での肉の苦痛は、むしろそれよりましで、悪血が流れ出ていく冷涼感とバランスしたであろう。
 
22.「キリスト教誕生」の背景
1)「処女受胎」のふたつ目となる「違ったイエス」の出現
だが、その三日後に、違った「性」のイエスが弟子たちの前に現れ、イエスの死の意味を、律法に基づいて説き始めたのである。それは、イエスの衣服をまとったマリヤさまであったが、誰もがそのイエスの語りに聞き入った。その「巡礼者の宿」の広間の人々に「神の国」が出現していた。弟子たちから失望といった嘆きの「狂気」が消え、心が燃えていたのである。そこに、来訪者があることが告げられた。

2)異邦人の驚愕、「イエスだ!生きていた!」
ユダヤ人の長老に伴われたその異邦人は、振り返った人の顔を見て驚愕して言った、「イエスだ、イエスが生きていた!」だが、それはすぐに訂正された。「ようこそ」とギリシャ語で挨拶されたその人が、よくよくイエスの顔を見ると「女性」だとわかった。まだ、40代そこそこの、水々さの残る顔立ちであった。ひげも無く、なめらかな、聡明そうな顔立ちだった。訪問者もまた「はじめまして」とアラム語で挨拶を交わした。この時の訪問者の驚愕こそ、イエスとその母との顔認証であり、処女受胎を歴史の表に出す根拠となるものであり、それれこそは訪問者がマリヤさまからの「昔語り」を引き出す根拠であるべきである。

3)異邦人への宣教はマリヤさま
訪問者の名こそは「ルカ」である。キリスト教は、じつにここから始まるのである。マリヤさまがクレオパの要請を受けて、最初にクレオパの私邸のあるアンテオケ、そしてローマへと「勉強会」の旅を続けられたのである。

4)カトリック教会のピラミッド型組織
教会組織は、クレオパが関与の最初からピラミッド型である。そして組織は拡大を続け、「子よ。あなたの罪はゆるされた」と聖母子、特にマリヤさまへの信仰が篤いことの初めであり今なのである。これらは、「行動を伴う信仰」の果実である。

5)聖書の「旧約」はいつから
それでは、「旧約聖書」はいつから、どういう目的で聖書にあるのだろう。それは「アロン家」の姫、マリヤさまのゆえである。マリヤさまが、エマオのアロン家から出る際には、共の者たちがいて、父の指示で、彼らが「ユダヤの経典」であるヘブル語の聖書を持ち出したのである。だから、ナザレの村ではマリヤさまと共の者たちが暮らし、ヨセフは別の棟(むね)にいたのである。イエスへの聖書の教育はその聖書(一連の巻物)が使われたのである。(2022/2/3-)

6)「哲学」という暗雲の2000年は、アレキサンドリヤが原因
その後、ローマ教会を「女と漁師」と侮(あなど)るアレキサンドリヤのギリシャ系を自負する哲学者たちにより、聖母子のキリスト教に影がさすが、「み心にかなう人々」の御世は続いた。そのマリヤさまを慕う人々により、カトリック教会は今に続く。「取説」は、今からも続く1000年のためにも、「智」による「あだ花」を払う役目を負う。
 
23.まさよしの「生涯ただひとつ」の結実
お父ちゃんの死に目にも、お母ちゃんのそれにも、わたしは側にいなかった。だが、「ルカによる福音書」を読み解いた形での、また導かれての「聖母子」信仰を書き、カトリック教会の存立の背景を「取説」したはずのわたしは、二人の営みで生まれた息子である。母はいつもわたしをほめてくれたし、父もわたしを認めてくれた。父は66歳であり、母は76歳であった。わたしは74歳で、今年(ことし)75歳になろうとする。キリスト教との出会い、悦子との出会い、子たち、孫たちとの出会い。そして、与えられた、この「取説」の仕事。感謝の念は尽(つ)きない。アーメン。
 
 
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「答としての聖母子」
 
 
オリジナル教会の権能:「あなたの思うがままに作成してよい」
ページ制作者 (ささくら宗)聖母マリヤ福音教会・「取説」担当 笹倉正義
2022/1/25、1/26、1/28、1/29、1/30、1/31、2/1、2/2、2/3、2/5、5/24
 
 
 
(ささくら修道会規約)当会の用いる聖書は、口語訳聖書または文語体聖書に限られる。例外として、バルバロ聖書差分を、正式文書に加える。これ以外の、聖書の引用は厳禁される。日本語以外の聖書については、文語体聖書の内容に準じるものとする。異端文例(Today's English Version)世事に迎合した改編文章など異端以外の何ものでもない。(異端:=故意に対立すること)
 
ささくら修道会の指定聖書:「日本聖書協会 口語訳聖書」に準拠
新約聖書(1954年改訳)

旧約聖書(1955年改訳)

バルバロ聖書(旧約差分)
 
いろいろ聖書  ささくら宗の聖書 
 
 
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