皇帝コンスタンティヌスとローマ教会

 
(1)4世紀、禁教解かれる
西暦313年、ローマ皇帝コンスタンティヌスによるミラノ勅令(ちょくれい)が、キリスト教の禁教を解き、新しい時代への号砲となった。そして、キリスト教思想の統合者をローマ司教(教皇)とすること、キリスト教の聖典とする文書の確定と類似諸文書の廃棄とが断行された。そして、ローマ帝国もまた、ギリシャ神を模したローマ神を廃し、ローマ司教のキリスト教を国教(こっきょう)とした。ローマ司教の教会、それは聖母子とイエスから天国の鍵をさずかった初代教皇ペテロの教会である。
 
「マタイによる福音書」 ペテロが初代教皇
16-16シモン・ペテロが答えて言った、「あなたこそ、生ける神の子キリストです」。16-17すると、イエスは彼にむかって言われた、「バルヨナ・シモン、あなたはさいわいである。あなたにこの事をあらわしたのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である。16-18そこで、わたしもあなたに言う。あなたはペテロである。そして、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もそれに打ち勝つことはない。16-19わたしは、あなたに天国のかぎを授けよう。そして、あなたが地上でつなぐことは、天でもつながれ、あなたが地上で解くことは天でも解かれるであろう」。
 
 
 
(2)西ローマ帝国の短命
その後、帝国は東西に分割統治されることになったが、西側はアルプスを南下する蛮族の侵入に耐え切れず、あえなく滅んだ。ローマ司教は後ろ盾を失い、自らを守る必要に迫られた。カトリック教会は、後ろ盾ができるまで、領土と軍備を保有することになった。

(3)7世紀、エジプトがイスラム圏に
東ローマ帝国はイスラムの台頭により、641年、まず、穀倉地帯のエジプト、そして「智の都」アレキサンドリヤを失った。エジプトの主流であった「ヨハネによる福音書」の教会もアラーの下(もと)で逼塞(ひっそく)した。イスラムは奴隷にした「智」を、哲学者から労働者に変えた。その結果、イスラムの軍備と医療とは格段に向上した。アラーの軍団は、北アフリカのローマ帝国領土を席巻し、海を渡り、スペインに攻め入った。

(4)東ローマ帝国の体裁(ていさい)はビザンツに萎縮
エジプトと北アフリカを失った東ローマ帝国は、もはや「ローマ」を冠することはできず、ギリシャの色濃い「ビザンツ帝国」と呼ばれることになった。ビザンツは、コンスタンティノープルとなる前の、ギリシャ植民地の名称に由来する。広大な東の版図を失った帝国は帝都コンスタンティノープル周辺だけになり、「ギリシャ」と呼ばれていた地域になった。「ビザンツ帝国」は東ローマ帝国の終焉(しゅうえん)時期の呼称である。東ローマ帝国とは格の違うものである。

(5)カトリック教会の組織改革
1073年に就位したグレゴリウス七世は、教会改革を断行し、聖職者の妻帯(さいたい)を禁止した。非常に大胆な決断であったが組織は強められた。これに反発したのがビザンツ帝国の教会であり、教会の枠組みから離脱した。その後、その帝国もオスマン・トルコ滅ぼされ、帝都の名前はコンスタンティノープルからイスタンブールと改まった。東教会はイスラムの陰でなりを潜めていた。

オスマン・トルコが世界大戦に敗北し、解体されたが、イスタンブール地域はギリシャ領とはならなかった。ビザンツの教会は「ギリシャ」を冠し、ギリシャ正教を名乗った。地域教会として生き残りを図ったのである。「ギリシャ人ならうちの教会」。彼らは「オーソドックス」教会を自称し、妻帯し、血統を誇る。ユダヤ教に逆戻りである。普遍教会であるはずのキリスト教をコンスタンティヌス帝以前の混沌(こんとん)に逆戻りさせているのである。

(6)異端との戦い
ビザンツの教会は、最初の組織的離脱であり、異端者になった。また、イタリヤの都市が発達して商人が台頭すると、商人と領主との間で権力が分散し、ローマ教会の風下(かざしも)に立たないという都市型異端も生じた。十字軍の海洋諸需要で富を増したベネチヤのサン・マルコ寺院もそれであり、聖マルコの遺体をアレキサンドリヤ教会から買い取り、ペテロと一線を画す守護神としたのである。

(7)叙任権争いの結末
また、ドイツ王にして神聖ローマ皇帝との聖職者叙任権争いは、その終末期にプロテスタントを生み出した。プロテスタントはまさに叙任権争いの落とし子である。
 
 
 
(8)プロテスタント
カトリック教会の「ローマ教会」は、地域的ローマを意味しない。そのローマは「ローマ帝国」のローマなのである。カトリック教会以外のものは全て、コンスタンティヌス帝のキリスト教理念から離脱したのである。その動機は全て自分への利益誘導に帰する。

その最近のものが、「プロテスタント」とくくるしかない諸教会であり、アンチ聖母、すなわちアンチ教皇のみで一致している。その手段として、聖書を「神からのたまもの」とするが、都合のわるい箇所は読み飛ばし、アンチ聖母の「ヨハネによる福音書」と無難な「詩篇」に偏重している。この二文書には、哲学的な、すなわち知的な文章が多いからである。信者は、守護神の代わりに、自分の聖句を持つように誘導されるのである。信者は、宗教的救済から迷い出て、無意味な哲学に誘導されるが、哲学は「智」にとどまり、他者との比較が根にあるから、ついには枯れてしまう。結婚は教会で、葬式はお寺でとなるのはそのためである。

プロテスタントは、一人教皇が理想であり、分裂のDNA、まさにこれは「罪」そのものであるが、気に入らなければなければ、そこからいとも簡単に離脱する。かくて、「プロテスタント」教会の成長がない道理である。
 
(9)今なおキリスト教思想の統合者
そういうわけで、さまざまな異端にさらされながらも、教皇は今なお正統なキリスト教思想の統合者である。カトリック教会は、さまざまな改革を行ったが、一番ハードルの高かったものが、何度も言うが「聖職者の独身制度」である。これは主義ではなく、聖書の命令である。カトリック教会を離脱する最大の理由が、実はこの「独身制度」である。

地域名を冠して正教(オーソドックス教会)名乗るものも、某国教会もこの類(たぐい)である。プロテスタントもこれに漏れない。

「コリント人への第一の手紙」7章 聖書の命令
未婚の男子は主のことに心をくばって、どうかして主を喜ばせようとするが、7-33結婚している男子はこの世のことに心をくばって、どうかして妻を喜ばせようとして、その心が分かれるのである。7-34未婚の婦人とおとめとは、主のことに心をくばって、身も魂もきよくなろうとするが、結婚した婦人はこの世のことに心をくばって、どうかして夫を喜ばせようとする。

「聖書が第一」のプロテスタントも、ここは読み飛ばしている。
 
(10)若い人よ
最後に、人生の岐路に立つ、若い人に申し上げたい。諸君がこの取説から学ぶもがあるとすれば、まず「聖職者」となるか、それとも俗に生きるかの選択肢を持ったことである。最初の岐路に、この選択を思えることは幸せと言う外ない。どちらを選ぶにせよ、その決断は、諸君がそれなりに確固とした地面の上を歩む精神基盤を自(おの)ずと身に付けたことになるのだから。(完)
 
 
答えとしての「聖母子」
 
 
 
 
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「ルカ文書のローマ皇帝」
 
 
 
 
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