サイトの構成

「恵まれた女よ」のマリヤさまこそ
このサイトのトップページの名前は「オリジナル教会」、取説の作成を始めた頃、カトリック教会でもプロテスタントでもない「権威」を意識して、この名前にした。結果として、取説はカトリック教会、とりもなおさず「聖母子」による神父の信徒への言葉、「子よあなたの罪はゆるされた」の根拠を解明するものになりつつある。
 
異邦人による「聖母子」を解き明かした今、レオナルド・ダ・ビンチにもグーテンベルクにも、もろもろの哲学者どもにも、「教会は聖書を読めない人々を騙(だま)している」とは言わせない。

プロテスタントの未熟
人には潜在的に「狂気」がある。それは「罪」の別名でもあり、人が自分の力(ちから)では除けぬものなのだとわかった。つまり、自分では「あがなえない」ものなのだが、そのことは自分も含めて、わかってはいなかった。一般には「人の罪」はイエス・キリストが十字架であがなってくださったので、「消えた」ことになっている。ここが、プロテスタントの未熟なところである。

罪を狂気とすると、「あがない」の錯誤がもっとはっきりする。「苦杯と十字架」がそれであり、今を生きる個々人に有効なのである。「今を生きる者に」、これが重要なのである。

サタンとは「智」
人がどんなに「いいこと」を言っても、狂気がそのうちにあれば、破局の可能性がある。狂気には意識できるものと無意識のものとがある。意識できるものは、その発動に恐怖して生きねばならない。不幸の源は、この恐怖にある。それがそれとわからないように、サタンは隠しているのである。

今後、この「取説」以後、その人に「狂気」が未処理であるかどうかは、カトリック教徒であるかどうか判別される時代が来るだろう。愚直なカトリック教徒は、仕事のできる人物となり、社会的信用も得るだろう。境遇はそれぞれでも、自助の努力の積み重ねで、「労働」を悦びとし、それぞれの立場を尊重しながら、見えざる群れを造るだろう。牧者は、群れを政治利用から守らねばならぬ。「飢餓」、「格差」、「民主主義」などといった「耳ざわり」の良いものは、その対象になりやすいのだが、それらは神とは関係のない、つまり天地創造などとは無縁の、人の「智」の生み出した汚物であり、サタンの管轄(かんかつ)するところなのである。智に働けばサタンの罠に陥りやすくなるので、用心して「愚直」であるのがよい。

サイトは「道しるべ」
このサイトは、そういったことに思い至る過程を示している。「取説」としては、キリスト教の御利益(ごりやく)について、大人(おとな)なら1時間、子どもなら30分で読めるものに仕上げなければならないが、今はまだ、日々浮かぶことを書きとめているにすぎない。そのため、ページ数は増え続けている。

サイトは、リンクされたページの総合体であり、途中経過を開示している。それが、文章が固定化された「本」より優れたところであろう。

信仰の異邦人二人の沈黙を尊重
そういうわけで、カトリック教会と「聖母子」は一体である。それは信仰の異邦人二人のおかげであるけれども、あえてその二人を強調するのはやめよう。カトリックの「知識人」たちもプロテスタント化が進み、「聖母子」を遠ざけているように思う。聖書の言葉を引用して、自分の考えをベラベラしゃべりまくる者が増えれば、「分裂」の危険が増すことは明白である。分裂はプロテスタントのDNAである。

「オリジナル教会」は、わたしに思うがままに「書き留める」権威を与えている。だから次々に浮かぶことを書き留め続ける。「ホームページ・ビルダー」がそれを可能にしている。
 
 
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オリジナル教会の権能:「あなたの思うがままに作成してよい」
ページ制作者 (ささくら宗)聖母マリヤ福音教会代表 笹倉正義
2021/8/13、2021/9/23
 
 
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