平成(へいせい)23年(2011年)の元日(がんじつ)

元旦に、Cたち三人は、夫君の実家に挨拶に行って、それからうちにやってきた。Cが「おとうさんからこれを渡された」と冊子を差し出した。「おとうさんのおとうさんの姉さんの話で、実家の歴史が書いてあるらしい。コピー要る?」と言うから、「いや、置といて、今度来たときに返す」と答えた。 
 
らい施設「愛生園」
神谷美恵子氏の著作より
1.死ぬこと
ぺらぺらめくってみて、『叫べども浄土は遠し門火たく』という句が目に入り、死の力に圧倒された。父と子と聖霊の神の中に生き、恐ろしい死の力から解かれているはずなのに、不覚にも「永遠」を思い浮かべてしまった。そして・・・、一夜が明けると、ヨブ記の御言葉が浮かんだ。

「ヨブ記」42章
42-15全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。父はその兄弟たちと同様に嗣業を彼らにも与えた。42-16この後、ヨブは百四十年生きながらえて、その子とその孫と四代までを見た。 
42-17 ヨブは年老い、日満ちて死んだ。
 
「ヘブル人への手紙」12章
12-1こういうわけで、わたしたちは、このような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。12-2信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである。12-3あなたがたは、弱り果てて意気そそうしないために、罪人らのこのような反抗を耐え忍んだかたのことを、思いみるべきである。
 
「伝道の書」12章
12-1あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしには何の楽しみもない」と言うようにならない前に。12-7ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る。 
 
2.生きた証し
その冊子を、テキスト入力した。どういうつもりだったかは思い出せない。
 
3.赤ん坊
私は、平成22年(2010年)7月26日に、この日Cから生まれた赤ん坊dを見た。目を閉じていたが、ガラスの外から声をかけると、片目を開こうとしているのが分かった。死体を見るのとは全然違う命の尊厳をそこに見た。この子の生きる手段は、顔を口にして、「おぎゃー!!!」と全力投球の声で泣くしかないのだ。 その声で、ママや看護師の看護婦さんが飛んでくる。

「死ぬこと」だけでなく、「産むこと」、「生まれること」、「育てること」も、キリスト教の説明書サイト、「笹倉キリスト教会」の主題である。
 
2011/1/21 笹倉正義
門火(かどび):葬式で、死者を送り出すときに門前でたく火。
2011/1/22、2011/1/23、2011/1/27、2011/2/12、2011/12/18
2012/3/21、2013/11/24
 
 
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「まつりさま」
 
 
 
「取説12年目の幸福」
 
冊子というのは、定子さんという愛生園の看護婦長だった方からの聞書きの書かれたものである。どういうものか、わたしはそれをテキスト入力し、複数のページに分配して、目次化のページでまとめたのだった。これ以後、わたしに長文に対する「目次化」が定着していくのだった。
 
「聞き書き」に聖母とルカを思う
 
2021/6/11 笹倉正義