「これほどの信仰」はイスラエルの中にも

 
「恵まれた」とは「幸運な」ではなく、「資質の豊かな」である。
 
今の呼び名はカトリック教会、プロテスタントが現れるまではローマ教会だった。そのローマは地域名ではなくローマ帝国を意味していた。そしてそれは帝国の国教をも意味した。またその組織はピラミッド型の階級組織だった。思うにそれは皇帝を頂点とするローマ軍の組織と同じであり、キリスト教会の始めにそれに精通した人物がいたとするに十分(じゅうぶん)である。そして福音書にただ一人(ひとり)それに該当する人物がいる。テオピロ(匿名)ことクレオパである。
 
「ルカによる福音書」7章 「これほどの信仰」
7-9イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。

「ルカによる福音書」24章 「クレオパという者」
24-17イエスは彼らに言われた、「歩きながら互いに語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。24-18そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
 
イエスがほめた「百卒長」のエピソードから、クレオパと初期教会の関係を読み解こう。
 
(初稿)「これほどの信仰はイスラエルの中にも」
分割しないオリジナルで「草稿」
 
目次
 
(1)クレオパの信仰力と行動力
クレオパとクレオパトラ、ひょっとしてクレオパはギリシャ系のローマ市民ではあるまいか、そのようにも思われる。彼の信仰はルカとともに「これほどの行動」となって、「聖母子」のカトリック教会のさきがけとなった。
(2)クレオパと聖書の読み方
四つの福音書には、矛盾や相反する事柄が見られる。通読する読者にはどちらかがウソという疑問が起こる。それをさけるには部分読みが適している。だがそのような読み方ではクレオパの功績にはたどりつけない。
(3)福音はローマへ
今のカトリック教会からローマ教会にさかのぼり、さらにはローマ帝国第二の都市アンテオケに出現したはずの宣教主体について、重複することもあるが、触れておきたい。
(4)最初の修道女たち
マリヤさまと奉仕の女性たち、それに元漁師のペテロたちは、クレオパの要請を受けてローマに向かわれた。彼らの宣教の相手は最初から異邦人たるローマ帝国の市民だった。
(5)禁教の300年にも布教は浸透
「禁教」の目的のひとつは「治安」であるが、マリヤさまたちの話を聴いてキリスト教を受け入れた人々が「騒動」を起こしたとはおよそ考えられない。騒動を起こすのは、キリスト教信者を勢力とみなし、それを政治活動に利用する者がいるからである。本来、布教は政治とは無関係でなければならず、権力の影響も受けないで浸透する。
(6)コンスタンティヌス帝の決断
「禁教」下にもかかわらずキリスト教徒はローマ帝国全土に広まっていた。彼らは騒動を起こすわけでもなく、むしろ勤勉であり、弱者を思いやる人々に思われた。その原動力がどこにあるのかは計りがたいが、現実はローマ市民の模範と思えるのだった。「禁教」維持は、ローマ神の神官やその利害者たちだった。キリスト教指導者と意見交換がしたい。
(7)国教化と東西分割統治の影響
異端が生じた。自己都合でローマ教会から離脱した、「○×正教」、「国教会・聖公会」、「清貧教会」などである。
(8)「新」修道会設立の目的
神父の信徒に言う「あなたの罪はゆるされた」こそは、これからの3000年へとつながる道なのである。その確かな道筋を、聖母子の光のうちに辿(たど)らねばならぬ。
(9)父ダビデの王座とヤコブの家
父ダビデの王座とはイエス・キリストの座であり、教皇座である。ヤコブの家とは、キリスト教思想の統合者を意味する。
 
まとめ
「ルカによる福音書」6章 主の言葉を聞き、そして
6-46わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。6-47わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。6-47それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。6-49しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである。

「聞いて行った者」こそ、クレオパとルカであろう。彼らの行動こそは、岩の上の土台である。カトリック教会はその土台の上に立つ。蛮族による西ローマ帝国の終焉(しゅうえん)、神聖ローマ皇帝との叙任権争いなど、幾度も激流に襲われながら、持ちこたえたのは、その土台のゆえである。しかし、部分最適の民意や、「智」の哲学的思想に迎合すれば、自らその土台から離れることになる。地と表現されているものはそれら「砂」の層である。
 
 
あとがき
わたしは労働を好む。仕事の中で「創意工夫」が楽しい。だから、マリヤさんのことを考えるのは楽しい。イエス・キリストのことを考えるのも楽しい。クレオパとルカのことを考えるのも楽しい。「これほどの信仰は」について考えるのも楽しい。いつか「マリヤさま」のマンガを描(か)こうと思うのはさらに楽しい。宣教の継続性のため「ささくら修道会」設立のことを考えるのも楽しい。まだ74歳なんだと、これからの「仕事」を考えるのも楽しい。「楽しい」のは、わたしにおいて「苦杯と十字架」により狂気が起きる都度、それが「消去」された状態が実現するからだ。その時「自分も神の国の住人だ」との自覚が生まれる。それこそは修道会が担うべき宣教という「仕事」の楽しさである。
 
マリヤさまの「さま」について
マリヤさまと「さま」をつけたり、イエスと呼び捨てにしたりしている箇所があるだろうが、それは「バランス」である。男に「さま」をつけるのは、たとえばその名自身に権威があれば、おかしな場合があるし、性の違う相手に「さま」をつける方が奥ゆかしくて好ましいこともある。聖母子はルカの「顔認証」の通りまさに一体なのである。我々は、そのイメージの奥深くに神を見ることができるのであり、「神はご自分に似せて人(聖母子)をお造りになった」と信じられるのである。
 
 
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