わたしは鋳鋼工場からLPZ出張要員として人事異動し、そのまま鋳物工場の生産技術課にいたが急遽出張が決まった。結婚して三歳と二歳の子がいた。わたしは三人を連れて仏教の聖地のひとつ高野山に行った。 プロジェクトの最終段階に立ち会っただけの結果になったが、それは企業の幸運を示していた。DDR(東ドイツ)の原材料やシステムを使って必要なトン数を鋳造するテストに合格する必要があったからだった。結果として、わたしの出張は三ヶ月余という短いものになった。 帰国後、わたしは、ふたたび三人を連れて、高野山にのぼった。わたしは、出張に先立ち、何か願をかけたわけではなかった。だからお礼参りでもなかった。なにかしら感謝の念に満たされていたからだった。 |
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笹倉 正義
2018/1/20、2/7