「取説」の目的は読んでわかること

このサイトの目的は、キリスト教説明書の公開である。その作成過程で、これはあまたのキリスト教思想(Idea)のひとつであり、しかもそれはまるでローマ・カトリック教会の起源のひとつを探り当てたようにも見えるものとなった。それで単なる抽象的な説明書ではなく、具体的な存在に対する「取扱説明書」、「取説」とした。

この取説は、あまたのキリスト教思想を否定したりはしない。一見それともとれる表現をしていることがあるかも知れないが、この取説は「他社製品」を否定するようなものではない。

取説は、具体的な「使い方」を読者に伝えられなければ、その目的を達しない。この取説が聖母子のローマ・カトリックの紹介のようであるならば、読者の何人かが「カトリック教会に行こう」という行動を起こすものであってこそ、その目的は達成される。

わたしは、この作業の折り返し点に達したと自覚してから、「苦杯と悪血」、「十字架と復活」に思いを馳せているうちに、自分の「狂気」が薄らいだことを思う。つい、いつもの通りかっとなったりすることはあるが、また平穏を取り戻して、いつもの通り、この作業が続けられる。

この「取説」は、国民性とか、時代とかを超越したものになるはずである。人の心に潜む「狂気」がすべての不幸の源である。その狂気こそ、すべての人がそれぞれに、その内にかかえているものであり、科学万能といわれる時代、あるいは核大戦により、ほとんどが無になったその向こうにおいても、人が人である限りそれは変わらない。「智」によってそれが取り除かれることはない。

狂気の原因を突き止め、遺伝子操作でそれを除去できるかもしれないが、それはもはや人ではない。愛や喜怒哀楽を認識できない、人の容姿を持つ「生き物」にすぎなくなるだろう。

そうこうしているうちに、「処女受胎」には目的があったのだということに思い至った。もっと言うと、ルカが処女受胎を自らの文書の冒頭においた目的である。ここでは詳しく述べないが、彼は「違った姿というか違った性のイエス」が弟子たちを教えている場面を目撃したのである。「あがない」の手段を遂げた者とそれを伝える者、それが「聖母子」なのであり、処女受胎を通してのみ可能だったのである。女が十字架にかけられることはないであろう。また男が自分の遂げたことを人に話すことはないであろう。聖母子は一体であり、それぞれ女と男の役割を果たされたのである。(2020/12/25)

割礼を受けた男は、パウロもそうであるが、地元ユダヤと諸都市のユダヤ人居住区の人々に向かい、女のイエスは異邦人に向かわれたのである。それでこそ、その先がローマ教会に続くのである。ただパウロは割礼無用を唱えたために、ユダヤ人の反発を買い、律法を否定する者、ユダヤ人を分解する危険人物として、死に定められたのである。ユダヤ人が迫害したクリスチャンはパウロに巻き込まれたユダヤ人であり、異邦人クリスチャンではない。混同してはいけない。(2020/12/26)

そういうわけで、聖母子はこの世に、個々人の狂気をあがなう、普遍的なものをもたらされた。聖母マリヤの愛に輝き、ペテロを初代教皇とするカトリック教会は、「出エジプト」からイエスまでの1300年を超えて、存在を続けている。その源はどこにあるのか、聖書に書かれなかったことで実在したはずのことに迫り、その説明を成し遂げ、キリスト教会取説の完成としたい。

その完成予想が、2030年なのである。
 
 
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オリジナル教会の権能:「あなたの思うがままに作成してよい」
ページ制作者 (ささくら宗)聖母マリヤ福音教会代表 笹倉正義
2020/10/25、12/25、26、2021/7/28
 
(ささくら修道会規約)当会の用いる聖書は、口語訳聖書または文語体聖書に限られる。例外として、バルバロ聖書差分を、正式文書に加える。これ以外の、聖書の引用は厳禁される。日本語以外の聖書については、文語体聖書の内容に準じるものとする。異端文例(Today's English Version)
 
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(確認履歴)
 
以下がもともとの記事
 
「説明」には国民性への配慮が大事
 
日本だけならいざ知らず、世界を相手に宣教するなら、国民性があることを考えないとね、ということかな。日本のみなさんに、 キリスト教をお話するからからには、「みんなキリスト教徒になりますよ。みんなローマ教会の信徒になりますよ」が念頭になければ。

うそついちゃいけないけど、そうなることが、これからの日本国民が、この先予想される激動のサバイバルを生き抜くために必要だと信じるなら、平和な今こそ、なすべきことをしておかなければならないだろう。自分の果たすべき役割を自覚した者は、それぞれの立場で、静かに、着実に、それを成し、いつか合流して活動しよう。
 
 
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受注者: 笹倉正義
 
2009年9月より「笹倉キリスト教会」制作開始
2019/2/22、25、27