(2)女伯(じょはく)マティルデ

マティルデは領主の娘なので、皇妃でも王妃でもなく、女伯と呼ばれる。彼女は、教会改革を断行したグレゴリウス七世と、叙任権をめぐって対立したハインリヒ四世の時代を、果敢に生き抜いた女傑である。ウルバヌス二世が遊説で呼びかけ、聖地エルサレム奪還のため、十字軍による遠征が始まったころに、マティルデはその生涯を終えた。 
 
 
 
 目次
1章「11世紀のローマ」 
1-2-1-19言語的な統一も崩壊し、ラテン語は各地の方言(ほうげん)に分解し、蛮族諸語と混交して、ヨーロッパはもはや共通の話し言葉を持っておらず、住む地域が違えば意思を通ずることも難しかった。
2章「教皇の権威、神聖ローマ帝国・皇帝の権威」 
1-2-2-12教皇が聖界(せいかい)における神の代理者なら、神聖ローマ皇帝は俗界における神の代理者でなければならず、両者ともその権力を神より受け、神に対してのみ責任を負う神聖な存在であらねばならぬ。
3章「聖界刷新運動の機運」 
1-2-3-3聖職売買や妻帯が半ば公然と行われ、高位聖職者の多くが領主を兼ね、世俗権力と見分けのつかぬほど癒着していた。1-2-3-4真面目な聖職者や修道士にとってこうした状態は耐がたく、心ある人々は痛憤して聖界刷新の声を挙げ始めた。
4章「マティルデの母の名はベアトリーチェ」 
1-2-4-8父が殺された時、マティルデはまだ幼かった。1-2-4-9父は広い領地と数多の城塞を遺してくれはしたが、内外に無数の敵を作ったまま死んだことも確かだったから、幼児三人を抱えて寡婦となった母のベアトリーチェは途方に暮れた。
5章「母娘とハインリヒ三世」
1-2-5-16身を捨ててこそ浮ぶ瀬もあれと、ベアトリーチェは意を決し、長女マティルデを伴ってフィレンツェに滞在する皇帝ハインリヒ三世に拝謁を願い出た。1-2-5-17マティルデはまだ十歳の少女だったが、この日の屈辱を生涯忘れなかった。
6章「修道士イルデブランドの略歴」 
1-2-6-16その後二十五年にわたって八人の教皇に仕え、東方教会との分裂、教皇選挙会の設立、ノルマン軍団との和平、聖職者妻帯の禁止等(など)、カトリック教会のこの時期の重要施策(せさく)のすべてに関与して決定的な役割を果し、バチカンの真の首長が彼であることは、衆目の一致するところだ。
7章「改革を担い教皇グレゴリウス七世に就位」 
1-2-7-8教皇アレクサンデル二世が没し、イルデブランドが新教皇に選出された時、マティルデとその母がどれほど有頂天になったか想像に余る。1-2-7-9黒幕的存在でいることを好んでいたイルデブランドは再三固辞したが、周囲、特にクリュニー改革派の意向はそれを許さなかった。
8章「改革(1)聖職者妻帯の禁止の徹底」 
1-2-8-6教区内の妻帯司祭を擁護したコンスタンツの司教はたちどころに破門された。1-2-8-7さらにグレゴリウス七世は諸国の君主に教書(きょうしょ)を送って、領内の妻帯聖職者に武力を用いても離婚を強制するよう要求した。
9章「グレゴリウス七世とマティルデ」 
1-2-9-7やがて母ベアトリーチェが心労多い生涯を終えた。1-2-9-8その遺言書(ゆいごんしょ)には、トスカーナ伯領を娘マティルデに譲る、そしてマティルデに子のない場合、その没後遺領はすべて教会に寄贈するとあった。
10「聖職者叙任権闘争の勃発」 
1-2-10-16強硬方針が難なく決定されたのはいうまでもない。1-2-10-17ウォルムスに集まった司教全員の破門、皇帝ハインリヒ四世の破門、廃位が宣言され、皇帝ハインリヒの臣下は忠誠の誓約から解放された。
11章「若年皇帝の誤算」 
1-2-11-5それならこの際、教皇に味方した方がずっとましというものだ。1-2-11-6十月、ドイツ諸侯はトリブールで会議を開き、皇帝の破門を認め、翌年2月22日までに教皇が破門を解除しなければ廃位をも認め、後継帝(こうけい)を選出すると決定した。
12章「カノッサの屈辱」 
1-2-12-3皇帝ハインリヒ四世は裸足で、粗末な毛の外套だけに身を包み、城門の前に姿を現して、へりくだった言葉と態度で赦免を懇願した。1-2-12-4それでもグレゴリウス七世は面会を許そうとはしなかったから皇帝は同じことを三日間繰り返した。
13章「皇帝ハインリヒ四世の逆襲」 
1-2-13-8皇帝ハインリヒ四世は皇帝派の司教をマインツに招集、会議はメルセブルクの勝利を神意のあらわれと見し、教皇グレゴリウス七世を「異端者、神の法をも人の法をも蹂躙(じゅうりん)した犯罪者、忌(いま)わしい息によって教会と帝国を汚染(おせん)した毒蛇(どくじゃ)」と決(き)めつけて廃位を宣言。
14章「女伯マティルデの奮闘」 
1-2-14-8五月二十五日教皇グレゴリウス七世サレルノに憤死、享年(きょうねん)六十二歳。1-2-14-9最後の言葉、「私がこうして流浪の身で死ぬのは、正義を愛し、不正を憎んだからである」。
15「ハインリヒ四世の凋落」
1-2-15-5お父上の力でイタリヤ王になるのは難しいでしょうね、それになれたとしても何の実力もない、肩書きだけの飾り人形じゃないの。1-2-15-6それよりも私と組みなさい、私の後盾(うしろだて)で王冠を得れば、お父上の意向がどうあろうと、あなた自身の意志で、あなたの能力を発揮してイタリヤを治めることができるのよ。
16章「教皇ウルバヌス二世の十字軍」 
1-2-16-4「フランス人よ、神の愛を受けし選民(せんみん)よ!1-2-16-5エルサレムとコンスタンティノーブルから悲しい報せが届いた。1-2-16-6神に敵対する憎むべき邪宗の徒(やから)が、我等キリスト教徒の土地を乱暴に侵略し、略奪放火殺人の限りを尽したのだ。
17章「カノッサの女伯時代が終幕」 
1-2-17-11西暦1115年、トスカーナ女伯(じょはく)マティルデはカノッサで孤独に息を引き取った。1-2-17-12教会と反皇帝ハインリヒ四世闘争のために捧げ尽くした生涯だった。
 
(はく)について
たとえばモンテクリスト伯の「伯」とはどういう爵位なのであろう。聞き流しのラジオ講座でたまたま「伯」が設置された起源を耳にしたので、メモルっておくことにした。マティルデの身分、女伯の意味がわかる。
 
このマップの中に、カノッサを中心に、ミラノ、パドバ、ベネチヤ、ボローニャ、ラベンナ、フィレンツェがある。今は、さびれた山の上の砦跡のようだ。
 
 
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(3)聖者フランチェスコ
 
 
 
文番号の採番方法(二分冊の文番号をユニークにする)
(本1、2)−(物語番号1−18)−(章)−文番号
 
 
ミチオ書・第一部・(文章)歴史物語・藤沢道郎
ページ製作者:ささくら修道会 笹倉正義
2014/9/14、2017/2/13、2018/12/13-12/20、2021/2/4-
(ささくら宗)聖母マリヤ福音教会:通称:「オリジナル教会」