この頃は「東方」のことを考えることが多くなった。ふと「ニカイア公会議」の場所が思い浮かんだ。Web検索すると「ニカイア会議」で表示された。その場所は、思っていたギリシャではなく、アジア(今のトルコ)だった。そしてコンスタンティノープルのすぐ近くなのだった。 今までニカイア公会議を主導したのはローマ司教だとばかり思っていた。だから、「ヨハネによる福音書」を作ったアレキサンドリヤの聖職者たちは、それを聖書の文書に加えるのに苦労した、と思っていた。 だが、事実は逆だった。会議を主導したのはアレキサンドリヤ教会の聖職者たちだった。西方から派遣されたのは使節団であり、いわば傍観者だった。新約聖書の必要性も「東方」の事情だったのだ。 |
ニカイアはコンスタンティノープルのすぐ近く |
統一皇帝コンスタンティヌスとローマ離脱のアレキサンドリヤ教会、それぞれの思惑 |
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会議のあったニカイアは、会議直後から造成されたであろうコンスタンティノープルのすぐ近くにある。コンスタンティノープルはヨーロッパの最東端にあり、海峡をはさんで東にアジア(今のトルコ)が広がる。皇帝がニカイアを会議の地に選んだのは、東方の提案があったからではないかと思わされる。 東方教会は、皇帝の覚えもめでたくなる。皇帝は「パンとサーカス」で堕落したローマを見限り、新しくヨーロッパの最東端にある地に、堅固な城壁に囲まれた都を造成することに決めたのである。そして、漁村ビザンチウムを拡張して造成した、コンスタンティノープルが姿を現すのである。 |
その新しい都にも教会ができたが、それはアレキサンドリヤ教会そのものであったのである。宮廷の御用教会として格式を重んじるものである。 |
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皇帝に就位したコンスタンティヌスの覚えめでたい「キリスト教」とは、東方のアレキサンドリヤの「智」であったのだ。そのアレキサンドリヤでは、聖母マリヤの名が消された「ヨハネによる福音書」が著されて久しかった。 皇帝は「パンとサーカス」で堕落したローマを見限り、ヨーロッパの東端にあり、対岸にアジヤ(今のトルコ)を臨むギリシャ名ビザンチウムの地に、新しい都の建設計画を立てた。そのアイデアはアレキサンドリヤの指導者たちと見ても大きくは誤らないであろう。 ニカイア会議は、その対岸近くのニカイア(当時の地名)で行われ、皇帝はヨーロッパ側の地に建設の始ったようすを視察したのである。 |
福音書の氾濫は、「智」のアレキサンドリヤの話である。「ヨハネによる福音書」にあやかった福音書が次々に書かれたのである。そういった文書の氾濫を禁止する目的を持ったものが「新約聖書」である。「ヨハネによる福音書」以外の創作を禁止せねばまずいことになりかねない。 その目的を全うするため、選定文書以外の文書を、皇帝の権威の下に、焼却させたのである。それから逃れるために、ナイル川上流の辺鄙な場所(ナグハマディ)に、壷に入れて隠したのである。 ローマ教会のまったく |
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